責任逃れと現状維持のシステム。
人間があるかぎり、あらゆる時代において人間の畜群があった。(中略)他に命令しえんがために、あたかもかれら自身が何者かに仕えているかのごとくに思いこむ。この現象は今日ヨーロッパでは事実として存在している。私はこれを命令者の道徳的偽善とよぶ。命令者たちはおのれの疚しさをごまかさんがために、自分は古くつたわる高き命令の(祖先・憲法・正義・法律・しかのみならずときには神の)遂行者である、というかのごとくに振舞う。あるいは、畜群の考え方から畜群的格言をかりて、「国民の第一の公僕」とか「全体の福祉のための機関」だとか自称する。他方において、現代のヨーロッパにあっては、畜群的人間が、おのれが唯一(ゆいいつ)のゆるされた種類の人間であるかのような顔をしている。そうして、温順な妥協的な畜群にとって有用な存在にまでかれらを化せしめた性質を、これこそ人間的な美徳であると讃美(さんび)する。すなわち、公共心・善意・顧慮・勤勉・節制・謙譲・寛容・同情の類である。しかして、指導者と嚮導(きょうどう)の羊がなくてはならぬと思われるときには、現代人はありとあらゆる工夫をこらして、中で利巧な畜群的人間をよせ集めて命令者の代用品とする。(『善悪の彼岸』ニーチェ,新潮文庫,P.164‐166)
指導者層…命令者…の道徳的偽善
リーダーとは本来、自身の意志で決断を下し、その結果に責任を負う存在。だが、命令者がその疚しさを回避するため、外部の権威を隠れ蓑にする。「ルール(法律や憲法)だから」「全体の福祉のためだから」と大義名分を掲げることで、「自分がそうしたいから命じる」という主体的な意思決定を放棄している。システムや規則の執行者に擬態することで、決断の責任の所在を曖昧にする。
同調圧力の美徳化
集団(畜群)を波風立てずに維持するために都合の良い性質が、普遍的な「美徳」としてすり替えられる。公共心、善意、勤勉、謙譲、同情といった性質は、個人の突出を抑え込み、システムを摩擦なく稼働させるための潤滑油として機能する。この傾向が強くなると、波長を合わせ、集団の和を乱さないこと自体が目的化し、構造的な課題の解決やシステム自体のアップデートは阻害される。
指導者の代用品
システムが極端に自己保存へ向かうと、独自の意志で現状を打破しようとする真のリーダーは、排除されやすくなる。しかし集団には先導役が必要である。そこで選ばれるのは、既存のルールや同調圧力に最も過剰適応した「利口な羊」です。「利口な羊」は調整能力に長け、現状のシステムを延命させることは得意だが、新たな方向性やビジョンを提示する機能は持っていない。
真空と代償作用
4 他者のおなじ箇所を殴りたいという欲求。自分の苦しみをそっくり他者にもこうむらせたいという願望。(社会が不安定な時期はべつとして、)みじめな境遇の人びとの怨嗟は同類の人びとへとむけられる。これが社会を安定させる一因である。
8 (中略)赦すこと、ヴァレリー。できるはずもない。だれかがわれわれに悪をはたらくとき、われわれのうちに反作用が生じる。意志的な忘却。報復の願望とは均衡を求める願望である。不均衡を受けいれ、そこに本質的不均衡の形象をみるべきだ。これとは異なる次元もしくはより大きな規模においてこそ、均衡を求めねばならない。
10 均衡を求めるのはよくない。想像上の営みにすぎぬから。報復。たとえ現実に敵を殺害または拷問しても、ある意味で想像上のものにとどまる。(『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェイユ,岩波文庫,P.18‐21)

人間が苦痛や理不尽(真空)を与えられた際、それをどう処理しようとするのか?
苦痛の転嫁によってシステムを維持させようとする
自分自身(あるいは自分の所属するシステム)に負の入力(苦痛)があった際、人間は自身の内側に生じた不均衡を相殺しようと、最も抵抗の少ない場所、つまり同等かそれ以下の立場の者へ同じ負荷をパスする。理不尽なストレスを抱えた人間が、立場の弱い相手に当たって溜飲を下げる。これは、悲惨なバグの連鎖である。しかし、全体的に眺めると、不満が社会の根本構造へとむかわず、下層で循環して処理される。よって、「社会を安定させる一因」となる。
報復は「想像上の均衡」
攻撃されたから攻撃し返すという反応は、損なわれた自己のバランスを取り戻すための自動的な代償作用である。しかし、相手を物理的・社会的にどれほど痛めつけたところで、自身の内側に生じた「真空(欠落)」が直接埋まるわけではない。帳尻が合ったように錯覚するだけで、実態は「想像上の営み」に過ぎない。他者にマイナスを与えても、自分のマイナスがゼロに戻るわけではない。
根本的原因はなにか?をみつける
「不均衡を受けいれ」「異なる次元もしくはより大きな規模においてこそ、均衡を求めねばならない」。目の前の相手と「同じ土俵で殴り合う」のではなく、視点とスケールをずらすこと。不公平や理不尽が生じた際、特定の個人を責めたり報復したりする局所的な対症療法に終始するのをやめる。どうして、その不均衡が生じるのかという根本的な環境や本質的不均衡を直視する。そして、より上位のシステム改修によって全体のバランスを取り直す。