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飲食店で食器を返却口へ戻す行為は、実質的に「いくら分の労働」を顧客が肩代わりしている計算になるのか?

飲食店で食器を返却口へ戻す行為は、実質的に「いくら分の労働」を顧客が肩代わりしている計算になるのでしょうか?書籍『アルゴリズム思考術』の視点、書籍『NOISE』の視点から、推定してみたいと思います。

 

『アルゴリズム思考術』の視点

アルゴリズムの観点では、客が食器を戻す行為は「シリアル処理(直列)」から「パラレル処理(並列)」への移行と捉えられます。

 

シリアル処理の場合

シリアル処理…つまり中央集権型…つまり店員が全てのテーブルを片付けるモデルは、コンピューターにおける「単一のプロセッサ(CPU)」による処理と同じです。店員という1つのリソースが、テーブルAを片付け、次にテーブルBへ移動し……というように、タスクを一つずつ順番にこなします。

 

後の順番になったテーブルは、前の作業が終わるまで「未清掃」の状態で待機し続けなければなりません。店員がテーブル間を往復する距離や、状況を判断する「計算コスト」が店側に蓄積されます。店員が一人しかいない場合、客数が増えるとシステム全体の処理速度が限界に達し(スループットの低下)、行列や空席待ちが発生します。

 

パラレル処理の場合

パラレル処理…つまり分散型…つまり客が自分の食器を戻すモデルは、多数の「プロセッサ」が同時に計算を行う「分散コンピューティング」の仕組みそのものです。食事を終えた瞬間に、各テーブル(各ノード)で「片付け」というプログラムが独立して実行されます。各プロセッサ(客)は自分のタスクだけを処理すればよいため、他のテーブルの状況に関わらず、食後すぐにテーブルが空の状態に移行します。客が100人に増えても、プロセッサ(客)も同時に100人に増えるため、システム全体としての処理能力が自動的に拡張されます。店員を増やす必要がありません。

 

店側にとって最も重い「移動」と「初期の仕分け」というタスクを、ネットワークの末端(客)に分散させることで、中央サーバー(店員)の負荷を劇的に低減させています。

 

『アルゴリズム思考術』の視点での結論

シリアル処理では店側にすべての計算負荷が集中しますが、セルフサービスというプロトコル(規約)を導入することで、店側は「計算(片付け)」そのものを客にアウトソーシングしていることになります。このとき、各客が負担する計算量は「自分のトレイを運ぶ」というごくわずかな O(1)ですが、システム全体で見れば、店員がルートを最適化して全てのテーブルを回るという O(N)の複雑なスケジューリング問題を解消していることになります。つまり、セルフサービスによる返却は、「中央での複雑な管理」を「末端での単純な行動」に置き換えることで、システム全体のノイズと遅延を最小化する極めて合理的なアルゴリズムであると言えます。

 

客が自律的に動くことで、店員という「中央プロセッサ」の負荷をゼロにしている価値は、単なる作業時間以上のものがあります。



『NOISE』の視点

セルフサービスは「判断のばらつき」を抑える「判断衛生(Decision Hygiene)」の一環として機能します。

 

店員が片付けを行う場合、「忙しさ」「優先順位の判断ミス」「見落とし」といった「機会ノイズ」が発生し、テーブルが汚れたまま放置される時間にばらつきが生じます。客が食後すぐに戻すという「一貫したプロトコル」は、この時間的ノイズを劇的に減らし、店舗の回転率を安定させます。

 

返却口へ戻す行為は、後続の「洗浄」というプロセスに対する「プレ・ソーティング(事前分類)」です。バラバラな状態で放置された食器を店員が分類する際の「判断(どれから片付けるか)」を省略することで、後段の作業におけるエラーや遅延を防いでいます。

 

食器を返却口へ戻す行為は「いくら分の労働」か?

テーブルから返却口までの往復、およびトレイを整理する時間を30秒と仮定します。2026年1月現在、日本全国の最低賃金(全国加重平均)は1,121円です。そうすると、1秒あたりの単価は1121÷3600(秒)=0.311388…円/秒です。つまり0.31円/秒です。

 

30秒では約9.34円となります。

 

単純計算をすれば、約9.34円ほど店側へ還元することができると考えられます。



さらなる詳細計算

さらに詳細に計算してみます。

 

計算複雑度の劇的な低下

店員がテーブルを回る行為は、計算機科学における「巡回セールスマン問題(TSP)」に近似します。店員が1人で N個のテーブルを効率よく回るには、最短ルートを計算し、状況(食べ終わったか、次のお客が来たか)を常に監視し続ける O(N²)以上の計算負荷がかかります。

 

各客が自分の食器を下げる行為は、各ノードが自律的に動くO(1)の処理です。店側にとっては、この「ルート最適化」という高度な知的・時間的コストを完全にゼロにできるため、単純な作業時間以上の価値が生じます。

 

判断衛生の向上と「機会ノイズ」の排除

店員が片付けを行う場合、「忙しさ」「疲労」「優先順位の付け方」によって、テーブルが放置される時間にばらつきが生じます。これが「機会ノイズ」となり、店舗全体のオペレーションを不安定にします。

 

客が食後すぐに返却口へ運ぶという「一貫したプロトコル」は、店員の判断を介在させないため、システムからノイズを物理的に除去します。この「予測可能性の確保」は、管理コストを大幅に引き下げます。

 

セルフ返却の真価

『アルゴリズム思考術』で触れられる「キャッシュ」や「スレッショルディング」の概念を応用すると、店員の労働価値が可視化されます。

 

店員が本来の業務(調理や接客)を中断して「片付け」に向かう際、脳のコンテキスト・スイッチング(切り替え)が発生し、作業効率が一時的に低下します。30秒の片付け作業のために、前後の移動や手洗い、元の作業への復帰にさらに30〜60秒を要する場合、店側が失う実質的な労働リソースは、作業時間の2倍以上(約60秒〜90秒分)になります。

 

1.店員が気づくまでの待ち時間(数分)

2.片付け作業(30秒)

3.次の客が座るまでのラグ

 

セルフサービスはこの「1. 待ち時間」をゼロにします。混雑時の1分は、店舗の回転率に直結するため、単純な時給単価を遥かに超える経済的価値(機会損失の回避)を生み出しています。

 

直接労働(物理的作業): 約9.3円(30秒相当)

間接労働(移動・手洗い等の付随作業): 約9.3円(30秒相当)

システム価値(ノイズ削減・回転率向上): 約10円〜

 

これらを合算することで、客1人の返却行為には20円〜30円程度の価値還元があると予想されます。

 

 

 

 

 

仕事で判断するとき、たくさんノイズ(ばらつき)がおきると考えられるが、これをどう防ぐか?

仕事の中で判断を下すとき、無意識のうちに「ノイズ(ばらつき)」が混入することはさけられません。『NOISE : 組織はなぜ判断を誤るのか?』ではそれを防ぐための「判断ハイジーン(衛生)」と呼ばれる手法が提案されています。

 

日々の業務で取り入れられる身近な工夫として、以下の5点が挙げられます。

1. 会議の前に「独立した意見」を集める

チームで判断を行う際、最初に誰かが発言すると、その意見に周囲が引きずられる「カスケード効果」や「集団極性化」が起き、ノイズが増幅されます。 これを防ぐためには、議論を始める前に、参加者全員に自分の意見や予測を個別に書き出してもらう、あるいは投票してもらうことが有効です。他人の意見に影響されていない「独立した判断」を集めて平均化したり、その分布を確認してから議論を始めることで、集団としての判断精度が高まります。

 

2. 判断を「分解」して個別に評価する

複雑な問題を一度に直感で判断しようとすると、第一印象(ハロー効果)などに引きずられやすくなります。 例えば採用面接や現在すすめられている仕事計画の評価などでは、判断すべき要素を「スキル」「経験」「リーダーシップ」といった独立した項目に分解し、それぞれを個別に評価します。すべての項目の評価が終わってから、最後にそれらを統合して総合的な判断を下すように手順を構造化することで、ノイズを減らすことができます。

 

3. 直感を働かせるのを「最後」にする

直感は判断の敵ではないけれども、早い段階で直感に頼ると、自分の予断に合う情報ばかりを集めてしまう「確証バイアス」などが働き、判断が歪められます。 情報を十分に集め、分析的な評価が終わるまでは直感を保留し、プロセスの最後になってから直感を働かせて最終決定を行うことが最適であると考えられます。

 

4. 「相対的」な判断を行う

この提案は5段階評価で4点」といった絶対的な評価は、評価基準が人によって異なるためノイズの温床となります。 これに対し、「この提案は過去のA案よりは優れているが、B案よりは劣る」といった比較(相対評価)やランク付けは、人間の脳が得意とする処理であり、判断のぶれが少なくなります。

 

5. 「統計的視点(外部の視点)」を持つ

目の前の事例の固有の事情(「なぜこうなったか」という因果等のストーリー)ばかりに注目すると、判断が個人の解釈に左右されやすくなります。 判断を下す前に、「似たようなケースでは過去にどのような結果になったか(基準率)」という統計的なデータや他の職場の事例を参照することで、独りよがりな予測や判断を修正することができます。

 

これら「判断ハイジーン(衛生)」の原則を統合し、実務で一括して運用するための具体的なシステムとして「媒介評価プロトコル(Mediating Assessments Protocol:MAP)」という手法が提案されています。

 

1. 判断の「分解」(事前の項目設定)

最終的な結論(例:後輩の彼の評価は?)をいきなり議論するのではなく、判断に必要な要素を事前に「媒介評価項目」としてリスト化し、分解します。例えば、同僚や後輩の評価を求められた際、「彼はいい人だ」「彼女は仕事ができる」といった漠然とした印象(ハロー効果)で全体を評価してしまうことがあります。これを防ぐために、評価軸を分解します。


分解の手順: 「優秀さ」を独立した項目に分けます。

    1. 正確性: ミスなく業務を遂行しているか。
    2. スピード: 納期を守っているか、レスポンスは早いか。
    3. 協調性: 周囲と情報共有できているか。
    4. 専門知識: 業務に必要な知識を持っているか。

 

「彼は愛想がいいから(協調性が高い)、仕事も正確なはずだ」と関連付けて考えないようにします。本書では、ある項目(例:正確性)を評価している間は、他の項目(例:愛想の良さ)を意識から排除し、事実だけに基づいて独立して採点することが推奨されています。すべての項目を個別に評価し終えてから、総合的なコメントを考えます。

2. 「独立した意見」の確保

各項目の評価は、可能な限り別々の担当者やチームが独立して行います。他の項目の評価結果や、他の人の意見に影響されないように情報を遮断し、個別に事実に基づく評価を下します。

 

「独立した意見」の最も分かりやすい例として、医師の診断が挙げられます。ある病気の診断に不安があり、別の医師にセカンドオピニオンを求めるとします。

 

悪い例(独立していない)

2人目の医師に「前の先生からは○○病だと言われたのですが、どう思いますか?」と最初に伝えてしまうケースです。これを聞いた医師は、無意識のうちにその診断が正しいという前提で診察してしまい(確証バイアス)、本来なら気づけたかもしれない別の可能性を見落とすリスクが高まります。

 

良い例(独立している)

最初の診断結果を伏せた状態で、2人目の医師にゼロから診察してもらいます。これにより、前の医師の判断に影響されない、完全に独立した「事実に基づく評価」を得ることができ、診断の精度(統合された判断の質)が向上します。

 

3. 「統計的視点」と「相対的判断」の導入

各項目の評価にあたっては、絶対的な点数ではなく、過去の類似事例(参照クラス)と比較する「相対評価」を用います。

 

部下の評価や採用候補者のスキルを点数化する場面を例としてあげてみます。

 

絶対的な判断(悪い例)

「彼のコミュニケーション能力は5段階評価で4点だ」とつける方法です。評価者によって「4点」の基準(厳しさ・甘さ)が異なるため、これがノイズの温床となります(レベルノイズ)。

 

相対的判断(良い例)

点数をつける前に、具体的な人物を基準(アンカー)として設定します。これを「ケース尺度」と呼びます。 「コミュニケーション能力が『高い』とは、以前いたCさんレベルのこと。『普通』とはDさんレベルのこと」と定義します。 その上で、「今回の候補者は、Cさんほどではないが、Dさんよりは優れている」というように、具体的な過去の人物と比較して評価を決定します。絶対的な点数ではなく、過去の実例との比較で位置を決めることで、評価者ごとの基準のブレを抑えることができます。

 

4. 意見の「統合」(会議の構造化)

最終的な会議では、いきなり議論を戦わせるのではなく、まず各項目について参加者が個別に採点した結果を一覧にして共有します(デルファイ法に近い手法)。これにより、誰か一人の声の大きさや、場の空気に流されることなく、全員の独立した判断を可視化・統合します。

 

採用面接の最終選考会議を例にしてみます。通常、面接後の会議では「この候補者をどう思いましたか?」といった漠然とした問いから始まり、最初に発言した有力者の意見に周囲が同調してしまう(カスケード効果)ことが頻繁に起きます。これを防ぎ、全員の知見を有効に活用するための手順は以下の通りです。

 

1. 事前の独立採点

会議室に集まる前に、各面接官は候補者を評価します。ただし、「採用したいか否か」という全体的な印象ではなく、事前に定義された評価項目(例:「業務知識」「問題解決能力」「協調性」など)ごとに、他の面接官と相談せずに独立して点数をつけます。この段階では、自分の評価を他者に話してはいけません。

 

2. 評価結果のマトリックス化(一覧共有)

会議の冒頭では、いきなり議論を始めるのではなく、全員が提出した採点結果を一覧表(マトリックス)にしてスクリーン等に映し出します。


表のイメージ
    ◦ 面接官A:業務知識 4点、協調性 2点
    ◦ 面接官B:業務知識 3点、協調性 5点
    ◦ 面接官C:業務知識 4点、協調性 4点

 

3. 「不一致」に焦点を当てた議論

一覧を見ることで、意見が割れている箇所が明確になります。例えば、「協調性」について面接官Aが「2点(低い)」、面接官Bが「5点(高い)」をつけていた場合、司会者はこの点数の乖離について理由を求めます。


A:「過去のプロジェクトで独断専行したエピソードがあったため」
B:「面接中のグループワークでの立ち振る舞いが円滑だったため」


このように議論することで、「なんとなく良さそう」という曖昧な同調ではなく、具体的な事実に基づいた情報の補完が行われます。全員の評価が一致している項目については、議論を省略できます。

 

4. 最終的な統合

事実関係の確認と相互の視点の共有が終わった段階で、初めて「この候補者を採用すべきか」という最終的な直感を働かせ、合議による決定を下します。


このように会議を構造化することで、場の空気や声の大きさに流されることなく、各面接官が独立して得た情報を漏らさず「統合」し、より精度の高い採用判断を行うことが可能になります。

5. 直感は「最後」に

各項目の評価がすべて完了し、事実関係の確認が終わるまでは、最終的な結論(やるかやらないか)についての直感的な判断を下すことを禁止します。 すべての評価が出揃った段階で初めて、それらの情報を総合し、最終的な直感を働かせて決断を下します。これにより、最初の印象に引きずられることなく、十分な情報に基づいた「規律ある直感」を発揮させることができます。直感は、情報収集と分析が終わったプロセスの最後においてのみ、その価値を正しく発揮します。

 

早期の直感がもたらす弊害(なぜ待つべきか)

通常の面接では、開始からわずか数分の雑談や立ち居振る舞いで、「この人は良さそうだ」「合わなそうだ」という第一印象(直感)が形成されます。 人間の脳は、一度直感的な結論が出ると、その後の時間はその結論を正当化する情報を集めることに費やしてしまいます(確証バイアス)。

 

例)最初の印象が良いと、回答があやふやでも「慎重な人だ」と好意的に解釈し、印象が悪いと「決断力がない」と否定的に解釈してしまいます。これでは、面接時間の大部分が単なる「答え合わせ」になり、事実に基づいた評価ができなくなります。

 

「規律ある直感」の効果

書籍では、Googleの採用プロセスなどがこの好例として挙げられています。 単なる思いつきの第一印象ではなく、十分な情報に基づいたこの段階での直感は、熟慮された「規律ある直感」となります。プロセスを完了したという満足感(「うちなるシグナル」)を、分析が終わるまで保留することで、単なる好き嫌いではなく、精度の高い総合判断を下すことが可能になります。

◆◆◆◆◆

以上のように、MAPは特別なツールやAIを必要とするものではなく、意思決定の「プロセス」と「手順」を厳格に管理することで、組織的なノイズを大幅に削減しようとするシステムです。

 

 

 

 

判断のバラつき(ノイズ)を防ぐ

人間の判断には、本人が自覚できない「ノイズ(バラつき)」が潜んでいます。ダニエル・カーネマンらの著書『NOISE 組織はなぜ判断を誤るのか』は、バイアスとは異なるこの目に見えないエラーの構造を解析しています。司法や医療の現場で生じている不公平の実態を概観し、AIの活用や「判断ハイジーン」というシステム的な対策が、いかに重要であるかを、本書の知見にもとづいて整理してゆきたいとおもいます。

 

その決断は、客観的と言えるか?

「判断のあるところには必ずノイズが存在し、それは想定されているよりも多い」

 

ノイズとは、本来同一であるべき判断における、望ましくないランダムなバラつきを指します。これは系統的な偏りである「バイアス」とは別の種類のエラーですが、どちらも判断の精度を損なう要因となります。

 

刑事裁判、保険料算定、医療診断といった専門的な領域においても、担当者や状況によって判断が大きく分かれる実態が報告されています。

 

例)刑事裁判における量刑の格差

同じような罪を犯した被告人であっても、担当する裁判官によって判決が大きく分かれる実態があります。


• 具体的な判決の差: 過去にアメリカで行われた調査では、前科のない2人の男性が同じ「偽造小切手の現金化」で有罪となりましたが、1人は懲役15年、もう1人は懲役30日という極端な差が生じました。また、別の着服事件では一方が懲役117日であったのに対し、他方は20年でした。


• 外部要因の影響: 判決は事件の内容だけでなく、裁判官の置かれた状況にも左右されます。例えば、地元フットボールチームが負けた後の月曜日は判決が厳しくなる傾向や、被告人の誕生日には判決が寛大になる傾向が報告されています。さらに、気温が高い日には難民認定の審査が厳しくなるといったデータも存在します。



なぜ、公平性のために「直感」を後回しにすべきなのか?

こうしたノイズは不公平を生むだけでなく、組織に多大な経済的損失をもたらします。しかし、人間は物事に対して『納得できる理由』を求める性質があります。そのため、明確な理由や傾向が見える『バイアス(偏り)』には敏感ですが、理由のない統計的な『ノイズ(バラつき)』は、因果関係を見出しにくいために無視されやすいです。

 

著者(ダニエル・カーネマンら)は対策として「判断ハイジーン(衛生)」という戦略を提言しています。具体的には…

 

判断を構造化して独立したタスクに分解すること

→一度にすべてを決めようとせず、判断材料を独立したチェック項目に切り分ける

 

複数の独立した判断を統合すること

→他人の意見に影響されない状態(密室)で各々が判断し、後でそれらを平均化する

 

直感を働かせるのを最後に遅らせること

→すべての客観的なデータが出揃うまで、自分の『勘』や『確信』を封印する

 

…などが含まれます。また、ノイズのないルールやアルゴリズムの活用も有効な手段とされています。ノイズの存在を認め、それを削減する努力を払うことは、社会の公平性と効率性を向上させるために不可欠です。

 

アルゴリズムとAIがノイズを防ぐ理由

『NOISE 上: 組織はなぜ判断を誤るのか?』『NOISE 下: 組織はなぜ判断を誤るのか?』では、アルゴリズム(AIや機械学習を含む)が人間の判断よりも優れている大きな理由として、それらが「ノイズ・フリー(ノイズがない)」であることを挙げています。

 

人間の判断は、気分、疲労、直前の出来事といった無関係な要因(機会ノイズ)によって同じケースでも変動しますが、アルゴリズムは同じ入力に対して常に同じ出力を返します。

 

特に機械学習モデルは、人間が気づかないような微細な変数間の相関(「折れた足」のような稀な事例*1)を検出する能力を持っており、保釈審査や医療診断において人間を上回る精度を示すことが実証されています。

 

とても単純なルールや計算式であっても、一貫性がない(ノイズが多い)人間の専門家による判断を上回ることが多いとされています。

 

生成AIの使用は「必要」なのか?

著者は、人間による判断が重大な不公平や多大な経済的損失(ノイズ)を生んでいる領域において、アルゴリズムの導入を真剣に検討すべきだと主張しています。ただし、全ての判断をAIに委ねるべきだとは考えていません。アルゴリズムは重要な決定を補佐したり、一部のプロセスを代替したりする手段としてはとても有効ですが、最終的な決定段階では人間が介在する余地が残ることも想定されています。

 

AIを導入しない場合でも、AIのようにノイズのない「ルール」や「構造化されたプロセス」を人間の判断に導入すること(判断ハイジーン)で、判断の質を向上させることが可能であると述べられています。

 

アルゴリズム活用における注意点

アルゴリズムはノイズを排除しますが、それだけで全てのエラーが解決するわけではないことも指摘されています。アルゴリズムは「ノイズ」こそありませんが、学習データに偏りがある場合、人間と同様の、あるいはそれ以上の「バイアス(系統的な偏り)」を持つ可能性があります。そのため、アルゴリズムによる差別や偏見を防ぐためには、その設計や学習データを注意深く点検する必要があります。


結論として、本書の主張に基づけば、生成AIを含むAI技術の活用は、判断における「ノイズ」を防止するための極めて強力かつ、有効な手段であると言えます。しかし、それが唯一の解決策ではなく、あくまで「判断の正確性を高め、不公平を減らすための戦略(判断ハイジーン)」の一環として、適切に設計・運用されることが不可欠であるという立場を取っています。

*1:ミール氏が挙げた例は、「ある人物が今晩、映画に行く確率」を予測するケースです。過去のデータに基づいた統計モデル(例えば、その人が毎週金曜日に映画に行くという傾向など)があれば、高い精度で「今晩も映画に行く」と予測する。しかし、もしその人物がその日の朝に「足を骨折した」という事実を知っていたらどうでしょうか。この「骨折」という情報は、通常の予測モデルには組み込まれていない変数ですが、映画に行くという行動をほぼ確実に否定する決定的な要因となります。このケースのように、統計的なルールやモデルには含まれていないが、個別のケースにおいて予測を無効にするほど強力な影響力を持つ、まれな出来事が「折れた足」と呼ばれます。

巨岩を神とする岩屋神社 福岡県朝倉郡東峰村宝珠山

福岡県東峰村にある岩屋神社は、巨大な礫岩(れきがん)の洞窟内に社殿が収まるように建てられた、めずらしい神社です。本殿は国の重要文化財で、断崖に柱を立てて支える「懸造り(かけづくり)」という建築様式が特徴です。むかしは、英彦山修験道の修行場として栄え、自然の巨岩を神格化する原始信仰の形がのこっています。

場所:福岡県朝倉郡東峰村宝珠山

駐車場:Google map

建立年代: 元禄11年(1698年)*1

建立者: 筑前福岡藩の第4代藩主、黒田綱政(くろだ つなまさ)

 

岩屋神社の歴史は1698年の本殿建立よりもはるかに古く、6世紀(古墳時代)まで遡ると伝えられています。社伝によれば、継体天皇26年(532年)に、中国(北魏)からの渡来僧である善正(ぜんしょう)が、英彦山(ひこさん)を開いた翌年にこの地を訪れ、「宝珠山宝泉寺大宝院」として開いたのが始まりとされています*2

 

つまり、1698年(元禄11年)に行われた黒田綱政による本殿の建立は、神社の「創建」ではなく、戦国時代の荒廃などを経て行われた「再興(再建)」にあたります。

 

欽明天皇8年(547年)、空から光り輝くものが岩屋の岩上に降ってきたという伝承があります。これは「宝珠石(ほうしゅせき)」や「星の玉」と名付けられ、ご神体として祀られるようになりました。この空からふってきた岩は、隕石であるとも言われています*3

 

鎌倉時代の記録(『彦山流記』)にはすでに「宝珠山窟」としての記述があり、英彦山修験道の重要な修行場(行場)として機能していました。一辺約12メートルの大日堂があり、多くの山伏が修行を行っていたと記録されています*4

 

どうして、岸壁に神社の本殿がはりつくようにつくられているのか?


岩屋神社は、独特な建築様式もっています。本殿は巨大な岩の岸壁に、埋め込まれるように、建てられています*5。神社の名前である「岩屋」は、「岩」と「家」や「店」を意味する「屋」の文字で構成されており、その名前自体がこの場所の性質をあらわしています。この社が背後にある巨大な岩の塊そのものを神聖な対象として祀るために建立されていることが想像されます。つまり、岩壁は単なる背景ではなく、信仰の中心そのものであるととらえられます。


山岳修行の伝統である「修験の場」であったことが、この建築様式がとられているとも考えられます。宝珠山周辺に存在する奇岩(陽)は神が降りる目印で、岩窟(陰)は他界への入り口や母胎内と考えられていました*6。この「奇岩」と「窟」が一体となった場所こそが神仏が降臨する神聖な場所とされ、山伏たちが籠もって修行をするために、このような地形を利用した施設が必要とされました。

 

このような急峻な地形に建物を造る手法として、「懸造(かけづくり)」という建築様式が採用されています。岩屋神社の境内社である熊野神社本殿は、岩壁の中程に「懸造」で造られています。これは、京都の清水寺などに代表されるように、山岳や岩場の険しい環境に建物を建てるための工夫です*7

 

境内にある熊野神社ではどのような神様が祀られているのか?

岩屋神社全体としては、英彦山権現(ひこさんごんげん)と同体とされる以下の三柱が祀られています*8

 

・伊弉冉尊(いざなみのみこと)

観世音菩薩の化身


・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)

釈迦如来の化身


・天忍穂耳尊(あめのおしほみのみこと)

阿弥陀如来の化身

 

いっぽうで、境内社に「熊野神社」があります。険しい参道を登り、杉林の奥深くへと進むと、現実離れした場所に鎮座する熊野神社がみえてきます。「熊野神社」に具体的にどの神様が祀られているか、祭神名を明記した資料はありませんでしたが、おそらく、熊野権現がまつられていると考えられます。修験道では、「熊野権現」は中心的な信仰対象であり、英彦山修験においても重要な位置を占めていました。資料には「今熊野窟」には熊野十二所権現・若王子が祀られているという記述(英彦山内の別の場所に関する記述)も見られます*9。岩屋神社の熊野神社も、こうした修験道の文脈の中で熊野権現を祀るために建立されたものと考えられます。

 

岩屋神社の境内にまつられている仏像群がまつられた経緯は?

岩屋神社の境内には羅漢像群(五百羅漢)がまつられています。これらの羅漢像群は、江戸時代中期の宝暦9年(1759年)にまつられました。当時の岩屋神社の神職であった岩屋坊良海(いわやぼうりょうかい)の祖父、良弁(りょうべん)の発案によるものとされています*10

当時は「千躰仏(せんたいぶつ)」や「千躰地蔵」とも呼ばれ、五百羅漢だけでなく、三十三観音、十六羅漢、閻魔大王、奪衣婆(だつえば)、賽の河原の子供、その他寄進者からの石仏など、数多くの仏像が安置されていました*11

現在、これらの像の多くが「首なし」の状態であったり、補修されていたりするのは、明治維新期の動乱が原因です。慶応4年(1868年)の神仏分離令に伴う廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の運動により、これらの石仏は徹底的に破壊され、谷底へ投げ捨てられました。その後、村人たちが谷川から仏像や石塔を拾い集め、安置し直しました。しかし、回収された仏像のほとんどは首が欠損していたため、「首なし地蔵」とも呼ばれるようになりました。村人によって拾い上げられた約153体の石仏は、現在、境内にある巨大な一枚岩「馬の首根岩(こうねいわ)」の斜面や、中宮の脇などに安置されています。

岩屋神社はもともと英彦山修験道の重要な修行場(彦山四十九窟の第三窟)であり、巨岩や奇岩をご神体や修行の場とする山岳信仰の聖地でした*12。羅漢像の安置は、こうした修験道的な空間において、自然の岩壁を仏の世界に見立て、供養や修行の証として行われたものと考えられます*13

 

十字架の塔 戦没者名簿 福岡県遠賀郡水巻町古賀

場所:福岡県遠賀郡水巻町古賀

座標値:33.863689,130.691109

 

十字架の塔(オランダ人戦没者追悼記念碑)」に刻まれている戦没者数は、公式には871名とされています。太平洋戦争中に日本各地の俘虜(捕虜)収容所で亡くなったオランダ兵 の名前が刻まれています。当初は1945年(昭和20年)、戦時中の強制労働に関する責任追及を逃れる目的で炭坑側が急いで建立したという複雑な歴史を持っています。現在では、戦没者を悼むとともに、日本とオランダの平和と友好のシンボルとして整備されています。毎年5月には、オランダ大使館関係者や町民が参列する追悼式が続けられています。

 

 

今回、以下、文字起こしを行ったもののうち、生年・没年が揃っている709名分をもとに、亡くなった当時の年齢とその割合を示すグラフを作成しました。

 

分析対象数: 709名(生没年が判明している方)

平均年齢: 35.38歳

中央値: 33歳

最年少: 19歳

最年長: 64歳

 

グラフを見ると、30代前半(30歳〜34歳)に大きなピークがあることが分かります。また、20代から40代にかけて広く分布しており、若い兵士だけでなく、家庭を持っていたであろう働き盛りの世代も多く犠牲になっていることがわかります。

 

 

戦没者名簿


ABELS, CHRISTOFFEL GERARDUS MARIEN (1913-1944)

ABELS, CONSTANTIJN FRANS (1916-1943)

ACHTERHOF, PIETER (1905-1945)

ACHTERBERG, G.W. (1898-1944)

ACKER VAN, J.C.L. (1906-1944)

ADRIAANS, JEAN JACQUES MARIE (1920-1943)

ADRIAANSEN, CORNELIS AUGUSTINUS VAN THEODOOR ANTOINE (1901-1944)

AERDEN, JOHANNES FRANCISCUS (1894-1943)

AGTERBERG, L. (1908-1942)

ALBA, P.A. (1908-1944)

ALBERTS, JACOBUS (1898-1944)

ALBERTS, KAREL (1900-1944)

ALDERLIESTEN, JOHAN EMANUEL (1911-1943)

ALEXANDER, LEONARD MARINUS (1921-1944)

ALPHONSUS, ROCOLO ALPHONSE (1915-1943)

ALPHEN VAN, W.H.S. (1915-1943)

AMERONGEN VAN, WILLEM FREDERIK HENDRIK (1914-1945)

AMERSFOORT VAN, JOHAN JACOBUS GODFRIED (1921-1945)

ANTONISSEN, WILLEM J. (1911-1944)

APPELIUS, JULIUS PETRUS MARIA (1917-1943)

ARENDS, JEREMIAS WILLEM (1913-1945)

ARENDS, NICOLAAS (1904-1944)

ARNOLD, JOHAN KAREL (1921-1944)

AS, J. (1905-1943)

AUGUSTIJN, G. (1913-1942)

AVIS, PAUL MARTINUS ARNOLD JAN (1901-1944)

AYRTON, ERNEST (1912-1943)

BAAK VAN, GERRIT (1888-1942)

BAAS, PHILIPPUS ALPHONSE FRANCOIS (1911-1944)

BAAY, H.C. (1899-1944)

BAHRE, ALBERT G. (1918-1943)

BAKKER, DIRK (1913-1944)

BALEN VAN, A.F.J. (1899-1945)

BALIE, ALPHONS JAN JACOB (1896-1945)

BALL, F.P.A. (1899-1944)

BANKS, GEORGE JOHAN JOZEF (1907-1943)

BARNEVELD VAN, A.C.L. (1916-1943)

BARRE, SIMON (1893-1943)

BAS, PIETER (1918-1944)

BASKY, A. (1922-1943)

BAST, ALBERT LODEWIJK (1904-1945)

BEEK, E.M. (1915-1944)

BEEKER, FRANS (1921-1945)

BEER, JOHANNES HENDRIKUS FREDERIKUS (1910-1945)

BEERENBROUK, ANTON JOZEF (1897-1945)

BEERS, JOHANNES (1903-1945)

BEHR, AREND ALBERTUS JOHANNES (1891-1944)

BEIERSEN, ADRIANUS PETRUS (1912-1943)

BELLONI, TOM GEORGE EGBERT (1922-1944)

BEMMEL VAN, MARINUS JOANNES PETRUS (1895-1943)

BENNE, HUBERTUS (1909-1944)

BENTFORT VAN VALKENBURG, WILLEM JAN (1902-1943)

BERG VAN DE, BENJAMIN (1921-1943)

BERG VAN DEN, ABRAHAM KAREL (1893-1944)

BERK VAN, JOHANNES (1915-1944)

BERNHARD, ALBERTUS WILLEM (1903-1944)

BOUWENS, JOHAN FRISO FERDINAND (1920-1944)

BOUWMEESTER, ALBERT JAN (1894-1944)

BRABOT, C.H. (1921-1944)

BREE DE, PIETER JACOBUS (1910-1944)

BREE, RAYMOND JEAN (1913-1944)

BREUER, MAX FERDINAND (1915-1944)

BRILL, ALPHONSE (1905-1943)

BROEKE VAN DEN, JOHAN FREDERIK (1897-1945)

BROERS, LOUIS NAPOLEON (1910-1944)

BROK VAN DEN, HUBERTUS (1913-1944)

BROKMAN, GERARD (1905-1945)

BROKMAN, HENDRIK (1909-1945)

BROEKMAN, HERMANN COENRAAD JACOBUS CHRISTIAAN (1911-1944)

BROUWER, A. (1915-1943)

BRUGMAN, P.C. (1891-1942)

BRUIN DE, HENK (1916-1943)

BRUIN DE, HUBERTUS (1887-1942)

BRUIN DE, ISAAC (1895-1943)

BRUIN DE, JAN PIETER DIRK (1907-1943)

BRUINS, JOHANNES (1897-1944)

BRUINS, JOHANNES JACQUES (1892-1944)

BRUINS, HENDRIK (1905-1945)

BRUINSMA, GERARD ANTHONIE (1891-1943)

BRUIJN DE, HUBERTUS MARINUS JOHAN (1922-1945)

BRUIJN DE, CORNELIS GERRIT (1911-1944)

BRUYNINGS, MARCEL (1894-1943)

BUDDINGH, A. (1906-1945)

BUREN VAN, G.A. (1920-1943)

BURKI, CORNELIS (1901-1944)

BUSCHKENS, FERDINAND JOHANNES ADRIANUS THEODOOR (1905-1944)

BUSCH, GERRIT JAN (1911-1944)

BUTLER, PIERRE LEON (1905-1945)

BUYS, GERRIT REGINA (1913-1944)

EINTHOVEN, WILLEM FREDERIK (1923-1945)

ELKENS, F.H.L. (1900-1944)

ELLENOT, RUDI (1923-1945)

EMAN, B.A. (1884-1944)

ENTHOVEN, BARNETT (1918-1945)

ENTING, HENDRIK (1918-1944)

ERIKSSON, W. (1918-1942)

ERKAMP, HUBERTUS FREDERIK LOUIS (1900-1945)

ERKELENS, F. (1910-1942)

ERNST, N.S. (1910-1942)

ES VAN, ALBERT (1898-1944)

ES VAN, WILHELMUS ADR. (1922-1945)

FEENSTRA, J. (1923-1942)

FESTEN, L.C. (1897-1944)

FISCHEDICK, IZAK JOHANNES JACOBUS (1911-1944)

FISSER, L. (1903-1942)

FLOHR, DANIEL DIRK (1911-1944)

FLORENTINUS, JOHAN MARINUS (1923-1945)

FLORIS, NICOLAAS (1901-1944)

FLOUWER, GUSTAAF ADOLF (1905-1944)

FOESENEK, GYSBERTUS (1905-1944)

FONTREIN, WILLEM JOHANNES (1918-1944)

FRAIKIN, J.P.A. (1894-1942)

FRANSZ, G.C.W. (1921-1943)

GABEL, REINARD HERMAN PHILIPPUS (1907-1944)

GAILLARD, L.A. (1901-1944)

GALALI, C.L.A. (1894-1943)

GAST VAN DER, MARINUS HENDRIKUS (1913-1943)

GEELEN, PIETER ALBERTUS (1911-1945)

GEERTS, FOOKO ABRAHAM (1901-1944)

GEERTSE, J. (1917-1943)

GEERTSE, JACOBUS (1887-1943)

GEERATSE, JOHANNES (1912-1943)

GEERATSE, P. (1910-1942)

GEEVELS, H. (1917-1943)

GELDER VAN, ERNST CORNELIS (1907-1944)

GELOOR VAN, JACQUES WILHELMUS ALBERTUS (1901-1944)

GELPKE, JAN PIETER LODEWIJK (1915-1943)

GENT VAN, JOHANNES THEODORUS (1921-1945)

GERRITS, PETER BARTHOLOMEUS MATTHIJS (1913-1945)

GERRITMANN, JULIUS EGBERT (1895-1944)

GERTONS, WILHELM JOHANNES (1918-1944)

GERRIT VAN DER, J. (1894-1943)

GIERTZ, JAN WILLEM (1913-1944)

GIESEN, LEONARD ANTON (1903-1943)

GIESEN VAN DER, NEILS MARTINUS (1902-1944)

HESSEL, MAX EDUARD (1913-1943)

HEUDE VAN DER, DOMINICUS HENDERICUS (1895-1944)

HEIJDENS VAN, ARNOLD BENJAMIN (1912-1943)

HEIJS, J.A. (1892-1942)

HOBOKEN VAN, WILLEM (1906-1944)

HOEVEN VAN DER, G.J. (1892-1942)

HOFMANS, ADRIAAN MARINUS (1910-1944)

HOFMANS, T. JACOB (1901-1944)

HOFWEGEN VAN, C. (1892-1942)

HOL, ADRIAAN (1915-1944)

HOLEWIJN, GERRIT (1915-1944)

HOLLANDER DEN, PIETER MAARTEN (1915-1944)

HOLLOU, D. HENRI THEODORE (1891-1944)

HOLM, J. (1918-1942)

HOLLINGA, WILHELM LODEWIJK (1921-1945)

HOLTMAN, J.H.W. (1892-1942)

HOLTSLAG, GERRIT JAN (1901-1943)

HOOG VAN DER, JOHAN (1903-1945)

HOOPEN VAN DEN, CHRISTIAAN (1893-1944)

HOORN VAN, C. (1899-1942)

HOORN VAN, JOHANNES (1909-1945)

HORSTMANS-HOFF, FRITZ (1916-1945)

HOUTEN VAN, J. (1910-1942)

HOUTTUYN, HANS (1921-1944)

HOVE TEN, GERRIT JAN (1894-1943)

HOVE TEN, JAN HENDRIK CORNELIS (1921-1945)

HOVEN VAN, ALEXANDER LODEWIJK (1908-1944)

HOOY, J.W. (1915-1942)

HUIDEKOPER, HERMAN (1902-1945)

HUISINGA, R. (1889-1942)

HULSEBOS, J. (1892-1942)

HULSEN, G. (1910-1942)

HUYGE, O. (1921-1942)

HUYER, PIERRE (1912-1944)

IDEMA, D. (1917-1943)

IDEN, JAN (1892-1942)

IJSEN VAN, L. (1917-1942)

ISCHET, J. (1911-1942)

JACKSON, JAN FERDINAND LUCIEN (1924-1945)

JAQUET, KAREL LEONARD (1904-1943)

JAKOB, GERRARD (1907-1943)

JANSE, H. (1913-1942)

JANSEN, AUGUSTUS ADRIAAN HERMAN (1904-1945)

JANSEN, MAX ARTHUR (1914-1943)

JANSEN, PIETER (1907-1943)

JANSEN, WILLEM GERHARD (1905-1944)

JANSSEN, MATHIAS (1914-1943)

JANSSENS, CORNELIS KAREL FRANCISOUS (1903-1945)

JEKKEL, CAREL LODEWIJK JACOBUS (1916-1943)

JOHANNIS, J. (1885-1943)

JOHNSON, ARTHUR PIERRE (1914-1944)

JOLLY, LUDWICH CAL (1916-1945)

JONG DE, CORNELIS PIETER (1895-1943)

JONG DE, LEONARDUS (1918-1943)

JONGE DE, THEODOOR ABRAHAM (1902-1944)

JONGH DE, JOANNES JOSEPHUS (1910-1943)

JOSEPH, MAXIMILIAAN BENJAMIN (1910-1943)

JULIUS, G.E. (1892-1942)

KALKMAN, REYNOUD STEPHANUS (1910-1944)

KAM VAN DER, JAN CORNELIS (1911-1944)

KAMERBEEK, JACOB (1921-1945)

KAMP, GERRIT (1888-1943)

KANTELBERG, E. (1922-1942)

KASTEEL, ISAAC FRANCISCUS (1915-1943)

KATER, S. (1921-1942)

KERKHOVEN, JOHANNES WILHELMUS (1881-1945)

KEISER, LOUIS EDUARD (1905-1944)

KEULEN VAN, EDUARD GUILLAUME ALEXANDER (1910-1944)

KIEWIET VAN, A.A.A. (1890-1942)

KHOVEN, JOAN JULIAN (1901-1944)

KIK, B. (1913-1942)

KISSELS, GOTTFRIED FREDERIK (1923-1945)

KLAASSEN, JOHANNES (1913-1943)

KLANDER, ADRIAAN (1912-1944)

KLEIBER, G. (1921-1942)

KLEIN, GERARD THEODORUS (1912-1945)

KLEINE, JAN JACOB FRANS (1911-1944)

KLEMAN, JOSEPH ADRIANUS (1921-1944)

KLEIJN, JOHANNES (1921-1944)

KLEYT DE, ALBERTUS (1917-1945)

KLOON, J. (1910-1942)

KLOMP, ROBERT PIERRE (1901-1944)

KLOPPENBURG, JAN (1915-1944)

KNAAP VAN DER, JACOB (1903-1943)

KNOP, J. (1884-1942)

KNOP, JAN ALBERTUS (1914-1943)

KNOTTENBELT, JOHAN GERARD (1911-1943)

KOEKOEK, PIETER (1915-1944)

KOESVELD VAN, PIETER CORNELIS (1919-1944)

KOETS, GERRIT (1912-1944)

KOK VAN DER, GEORGE VICTOR BENJAMIN (1912-1944)

KOLMUS, CHRISTIAAN (1894-1944)

KONING DE, ADRIAAN (1904-1943)

KOOIJKIJK VAN, DE C. (1915-1942)

KOONING, J.J. (1914-1942)

KOPP, P.A.J. (1921-1942)

KOSTER, BENJAMIN (1918-1945)

KOSTER, M. (1910-1942)

KOSTER, R. (1911-1942)

KRAAY, CHRISTIANUS (1903-1944)

KRAMER, G. (1903-1944)

KRAMER, MAURITS (1913-1944)

KRAUTS, JOHANNES WILHELMUS (1895-1944)

KREEFT, JOSEPH DIRK HENDRIK (1904-1943)

KROONENBERGH VAN DE LOGNIE, JOANNES (1918-1944)

KRUTHE, CHARLES EDWARD (1920-1944)

KRUMMENHOEK, DIRK (1901-1943)

KRUGER, ERNST AUGUST (1913-1944)

KRUIWEL, CORNELIS JOHANNES (1902-1945)

KRUISINGA, MARTEN GEERT (1907-1943)

KRUL, LOUIS (1895-1944)

KUELIK, V.F.R. (1917-1944)

KUHRBACH, OTTO CORNELIS (1903-1945)

KUIPER, RITSE TJEERD (1912-1943)

KUIJS, G.A.J. (1893-1944)

KUISMAN, PETER (1915-1945)

KUNEMAN, J.H.W. (1906-1944)

KWASSIE, MAURICE A. (1919-1945)

LAAR VAN DE, WILLEM MARIE (1915-1944)

LAGERWEY, ALBERTUS FERDINANDUS (1914-1944)

LANDRE, JEAN GERARD (1918-1945)

LANDSMAN, J.H. (1892-1944)

LANGEHUIJZEN, GERARDUS (1917-1944)

LANGEZAAL, JOHANNES (1905-1944)

LANGHORST, J.F.A. (1911-1944)

LAPRE, WILLIAM FRIZ (1920-1945)

LAUTERBACH, FREDERIK JURGEN (1910-1943)

LEAU DE, JOHANNES ADRIAAN (1906-1944)

LEBERT, JOHAN RAYMOND ANTONIE (1920-1943)

LEEUW DE, J. (1893-1945)

LEEUWEN VAN, ALEXANDRE (1911-1943)

LEEUWEN VAN, PIETER HENDRIK (1909-1945)

LEIDELMEIJER, AUGUST ROBERT (1915-1945)

LEIDELMEIJER, JULIUS ROBERT (1918-1944)

LEIJEN VAN, JOSHUA WILLEM (1895-1943)

LEMMEN, J.W.A.C. (1893-1944)

LENNERTS, P.H. (1911-1945)

LENSING, J.G. (1895-1944)

LENSUN, LOUIS CHARLES (1915-1945)

LEVIE DE, EMILE FLORENT GEORGE (1911-1944)

LIGTHART, HERMAN (1921-1944)

LINDE VAN, JAN HENDRIK (1918-1945)

LINDE VAN, PIETER (1912-1944)

LINDE VAN DER, G.D.F. (1917-1944)

LITH VAN, FRANS CHARLES MARIE (1893-1944)

LIZONDI, FRANK CORNELIUS (1913-1944)

LODEWIJKS, J. (1915-1944)

LOO VAN, H. (1921-1944)

LOO VAN, J.C. (1897-1944)

LOUDT, FERDINAND CHRISTIAAN (1912-1944)

LOURENS, M.C.H. (1912-1944)

LOWIS, EMILE ADRIAAN (1913-1944)

LUB, WILLEM FREDERIK (1915-1944)

LUDEKE, DIRK ANTOON (1914-1944)

LUNING, JAN (1911-1945)

LUUT, J. (1906-1944)

LOUWERENS, CAREL EDUARD JOHANNES (1918-1944)

LUCAZOR, GEORGE WILLEM (1924-1945)

LUIJT, J.W.F. (1896-1944)

LUSCHEN, ANTONIUS WILHELMUS (1911-1944)

LUTEIJN, ALBERT EDUARD RICHARD ALEXANDER (1916-1944)

LUTTENBERG, R. (1910-1944)

MAARE, ADO F. ANTON (1911-1944)

MAARE VAN DE, MARINUS WILLEM FREDERIK (1910-1943)

MAAREN VAN, EDUARD WILLEM (1909-1943)

MAAS, GUSTAAF (1921-1944)

MAASSEN, J.F. (1888-1944)

MAKATITA, CORNELIS HENRI (1915-1945)

MAKKREEL, CORNELIS JAN (1911-1944)

MAK VAN WAAY, JAN HENDRIK (1900-1944)

MARECHAL, THEODORE JEAN FRANCOIS (1914-1945)

MARTEIN, HERMAN EWALD (1912-1944)

MARTENS, G. (1917-1944)

MARTENS, H.A.C. (1916-1944)

MARTENS, HENK (1919-1944)

MARTHEZE, RUDOLF (1911-1944)

MARTHEZE, RUDOLF WILHELMUS EVERHARD (1905-1944)

MASQUERIER, ROLAND THOMAS BENJAMIN (1891-1944)

MAWSON, S. (1914-1944)

MECHELEN, JAN (1911-1945)

MECHELEN VAN DER REYDEN, CHRIS LUDWIG (1918-1944)

MEEDER, J. (1916-1944)

MEERSHART, CHARLES RUDOLF (1895-1944)

MEEUSEN, LEENDERT (1911-1945)

MEIJER, A.S. (1923-1944)

MEIJER, ARNOUD THEODOOR (1915-1943)

MEIJER, G.A. (1909-1944)

MEIJER, JACQUES (1917-1943)

MEIJER, S. (1917-1944)

MEIJER, AUGUST WILHELMUS (1911-1945)

MEIJERINK, REINHARD (1916-1944)

MEIJERINK, HENDRIK (1917-1944)

MEIJN VAN DER, LUDOVICUS ADRIANUS (1911-1943)

MELGER, AUGUST JULIUS MATHIJS (1917-1945)

MENSARE, H.L.M. (1899-1944)

MERLING MEIJER, LODEWIJK CHARLES (1911-1944)

MESSEMAECKERS, R. (1894-1944)

MICHIELS, JOHANNES HENDRIK (1911-1943)

MICHIELSEN, C. (1897-1944)

MIDDEL, BENJAMIN ANNE PIETER (1903-1944)

MIDDELBURG, ADRIAAN MARIE DOMINICUS (1903-1944)

MODDER, JOHANNES JACOBUS KASIER (1899-1944)

MOHR, EMIL JOHAN (1920-1943)

MOLEMAAR, JOHANNES JACOBUS (1913-1944)

MOOK DE, G.C. (1911-1944)

MOONEN, J.L.M.W. (1901-1944)

MOORS, JOSEP (1911-1943)

MORISCH, G. (1915-1944)

MORTIER, G. (1893-1944)

MORTIER, J. (1894-1944)

MOUWEN, W. (1896-1944)

MUILWIJK, G. (1915-1944)

MUELHAUS, MARTINUS CALVINUS LUTHER (1917-1945)

MULDER, G. (1893-1944)

MULDER, G.M. (1915-1944)

MULDER, WILHELMUS JOHANNES ANTONIUS (1907-1944)

MULLER AUF DER HEIJDE, WILLEM AUGUST ANTON (1902-1943)

MULLER, BERNARD ERNEST (1914-1943)

MULLER, MAXIMILIAAN (1907-1944)

MULLER, WILHELM GERARD (1919-1945)

MUNSTER VAN, P.H.M. (1910-1944)

MUNTENDAM, DIRK SIXTUS FILIPPUS (1913-1945)

MUSCH, J.A. (1895-1943)

MUSTAMU, C.H. (1912-1945)

NABER, HENDRIK (1922-1943)

NAGTEGAAL, CORNELIS (1914-1944)

NECK VAN, L. (1893-1943)

NEIJSEL, DIRK (1915-1944)

NEWLAND, P. (1895-1944)

NIEYNHOFF, CHRISTIANUS JOZEFUS (1913-1944)

NIEYNHOFF, HENRICH CHRISTIAAN (1897-1944)

NIEHAETH, FREDY WILLIBALD (1920-1944)

NIERHOFF, PAUL HUBERTUS (1909-1944)

NIESTEN, CORNELIS ADRIAAN (1918-1945)

NIEUWDORP, J. (1898-1944)

NIEUWENHUYS, JOHANNES BARTHOLOMEUS (1899-1944)

NIEUWENHOF VAN DEN, FELIX (1914-1944)

NIJE, CORNELIS MARINUS (1918-1945)

NILANT, THEO (1895-1943)

NOORDHOON, JOHAN CORNELIS (1911-1944)

NOOY, C. (1912-1944)

NOOY, JOHAN FREDERIK (1918-1944)

NOSSIN, HENDRIK MARTINUS HUBERT (1914-1944)

NOTHUYS VAN, F.H. (1897-1944)

NUMANS, G. (1912-1944)

NYSSEN, P.A. (1912-1944)

OGLVIE, RUDOLPH ALBERT (1904-1943)

OLIVE, ROBIN (1911-1945)

OLTHOFF, J.H. (1893-1944)

OMMEN VAN, JAN (1911-1944)

ONDERWATER, A. (1911-1944)

OOMS, P. (1893-1944)

OORTMERSSEN VAN, F. (1923-1943)

OORTHUYS, JACOBUS (1891-1945)

OOSTERHOFF, G. (1894-1944)

OOSTERVEEN, HARM (1917-1944)

OOSTHOEK, J. (1905-1943)

OTTERSPOOR, JOHANNES THEODORUS (1900-1943)

OVERAKKER, ROELOF CHRISTIAN (1890-1945)

PATIWAEL VAN WESTERLOO, CORNELIS (1903-1944)

PATTYNAMA, AUGUST RUDOLF EDUARD (1915-1943)

PAUWELS, CHARLES ADRIANUS MARINUS (1913-1944)

PEETERS, JOHANNES MATTHIJS (1915-1944)

PELT VAN, ADRIAAN (1921-1944)

PELZER, JAN CORNELIS (1902-1944)

PENN, K.H.H. (1911-1944)

PERREIJN, J.A. (1915-1944)

PERUIN, REINIER PIETER (1915-1943)

PFAFF, G.A. (1911-1944)

PFAFF, JOHANNES ROBERT (1915-1944)

PIEPER, GERARDUS CORNELIS FREDERIK (1915-1944)

PIEPERSBOSCH, HANS EMANUEL (1912-1944)

PIETERS, A. (1913-1944)

PIETERS, LUDWIG (1912-1943)

PIETZ, ADRIAAN (1911-1943)

PIETZ, ALBERTUS (1911-1943)

PIN, SAPPIN (1910-1944)

PLAKE, C. MARTINUS (1911-1944)

PLAKE, FRITS (1895-1944)

POL VAN DER, E. (1911-1944)

POL VAN DE, JOHAN ALBERT (1904-1945)

POLANEN PETEL VAN, DEAN LOUIS (1911-1945)

POOT, THEODORA PETRONELLA (1891-1943)

PREVOOST, W.P. (1922-1942)

PRINS, J.H. (1904-1944)

PRINS, N. (1891-1944)

PROMMENSCHENCKEL, COENRAAD NICOLAAS (1915-1944)

PROOY, FREDERIK ANTONIE FRANS (1913-1943)

PUTTEN VAN DER, KAREL JAN EUGENIUS (1913-1944)

RAALTEN VAN, JACQUES CORNELIS PIERRE (1921-1944)

RAALTEN VAN, WILLY LEOPOLD IZAK (1911-1944)

RAIBEL, G. (1913-1942)

RAITZ, L. (1923-1943)

RAO, LEONARD HENDRIK (1918-1944)

RAZOUX SCHULTZ, FRANS HERMAN (1912-1943)

REES VAN, L. (1910-1944)

REHMEIJR, THEODOOR (1902-1944)

REMMERT, AREND WILLEM (1906-1943)

RENEMA, G.J. (1915-1944)

REPARON, G.E. (1905-1944)

REYNIERSE, W. (1921-1944)

RHOON VAN, A.B.J. (1913-1944)

RIDDER VAN, WILLEM HERMAN (1911-1944)

RIDDERHOFF, W.G. (1903-1944)

RIJKSCHROEFF, ANTON WILLEM FLORES (1903-1943)

RIJKSCHROEFF, CARL LOUIS (1914-1944)

RIJN VAN, J.P.A. (1888-1944)

RIJNDERS, HENDRIK (1913-1945)

RIJNDERS, WILLEM MARINUS ARNOLD OTTO (1903-1944)

RIJS, G.A. (1911-1944)

ROBIJN, HERRE (1907-1943)

ROEST VAN, HEINRICH JOHANN (1911-1943)

ROGGEN VAN, ALBERTUS MARINUS (1911-1944)

ROZZAARD, LODEWIJK GERARD (1903-1945)

RONDE DE, THOMAS JEAN HENRI (1917-1945)

RONDEAU, J.A. (1896-1944)

ROOVERS AGERBEEK, FRANS RICHARD (1913-1943)

ROOD, OP 'T, V.W. (1917-1944)

ROOY DE, J.B. (1892-1944)

ROOY DE, J.M. (1895-1944)

ROORDA, P.W. (1911-1944)

ROSMALEN VAN, WILLEM (1903-1944)

ROSENQUIST, KAREL RICO (1914-1944)

ROSENQUIST, RIMI (1901-1944)

ROSIER, MATTHIJS JOHAN (1907-1943)

ROVERS VAN, ADRIAAN WILLEM LAURENS (1914-1945)

RUDOLPH, G. (1921-1944)

RUEMPOL, A. (1923-1943)

RUIFKROK, JOHAN NOEL MARIE JOSEPH (1915-1944)

RUIJL, MARINUS HENDRIK (1911-1944)

RUITEN, TEUN (1921-1943)

RUITER DE, A.M. (1915-1943)

RUITER DE, ANDRIES (1906-1944)

RUUK DE, FREDERIK ANDRE (1906-1944)

RUUK DE, LAMBERTUS ADRIAAN (1913-1944)

RYSINGEN VAN, JAN (1911-1944)

SACHS, JOHANNES (1881-1943)

SALOMONS, ALBERT HENDRIK ARIE (1922-1943)

SALOMONS, M.J. (1888-1944)

SAMSON, ALEXANDER FREDERIK HENDRIK (1910-1944)

SANDOZ, JOHANNES CHRISTIAAN (1914-1944)

SCHADDELEE, MARINUS (1901-1943)

SCHAFFINK, MATHEUS (1915-1944)

SCHATTENKERK, EDUARD WILLEM (1912-1945)

SCHEEPE, DANIEL FREDERIK (1903-1944)

SCHEEPENS, JOHANNES CORNELIS JOHANNES (1922-1944)

SCHEEWES, G.P.W. (1906-1944)

SCHEFFERS, WILLEM FRITS (1912-1945)

SCHERER, ARTHUR LUDWIG (1903-1944)

SCHERPER, ROBERT JOHAN FERDINAND (1914-1944)

SCHOENMAKER, HERMANUS JASPER (1922-1944)

SCHOL, J.H. (1902-1944)

SCHOLMEIJER, HENDRIK ENGOBERT JAN (1903-1945)

SCHOUTEN, MARINUS JOHANNES AREND (1921-1945)

SCHRAMA, A. (1915-1944)

SCHREUDER, FREDERIK CAREL (1917-1944)

SCHREUDER, HENNY (1912-1943)

SCHRODER, JOHAN ARENDT (1903-1944)

SCHUIJT VAN DER, M. (1912-1944)

SCHULLER, ROBERT ANTOINE (1910-1943)

SCHULTE, JOHAN EMIL (1905-1944)

SCHUT, HENDRIK (1913-1943)

SCHWARTZMAN, J. (1921-1944)

SCIMONE, G. (1923-1943)

SERIERE DE, ROBERT GUSTAAF HERMAN (1902-1944)

SEVEHOVEN VAN, HENDRIK WILLEM (1902-1943)

SEVENSTER, CORNELIS (1913-1944)

SICKENS, J.C. (1898-1944)

SIK, J.H.H. (1893-1944)

SILON, EMIL LANDRE (1922-1945)

SIMON, PIETER ALEXANDER (1910-1944)

SINON, J. (1882-1943)

SLUIJTER, ANTON (1891-1944)

SLUIJTER, L. (1902-1944)

SMEDING, CATHARINUS (1905-1944)

SMIT, G. GEORG HENRI (1895-1943)

SMIT, J. (1903-1944)

SMIT, JOHAN PIETER (1912-1944)

SMIT, PIETER ARENDS (1900-1944)

SMITH, DOMINICUS HERCULES (1901-1943)

SMITH, FREDERIK THEODOOR (1902-1943)

SMITS, H.P. (1915-1944)

SMITS, ALPHONS FRANCISCUS (1905-1944)

SMITS, JOHANNES PIETER (1915-1943)

SMITS, PIETER (1903-1944)

SMITS, PIETER MARIUS (1910-1944)

SOL, LEENDERT NICOLAAS (1905-1944)

SOMERS, JAN PAULUS (1915-1944)

SONNEVELDT, H.W. (1888-1944)

SOOZA DE, G.C. (1923-1944)

SOUISA, C.W.A. (1923-1944)

SPANGAARD, HENDRIK WILLEM (1914-1944)

SPEK VAN DER, G. (1903-1944)

SPIERENS, AUGUSTUS LODEWIJK (1918-1944)

SPOELSTRA, HERMAN SIEBREN JACOBUS JAN (1910-1943)

SPRINGER, H. (1913-1942)

SPRINGER, K. (1913-1942)

STENFERT, JURREN (1911-1944)

STERRE, ABRAHAM ANTON (1915-1944)

STEVENS, J.L. (1911-1944)

STOK VAN DER, ERIK (1919-1944)

STOPPEL, J. (1911-1944)

STRAUB, A.W. (1913-1944)

STREEFKERK, JOHANNES JACOBUS (1894-1943)

STREUR, ABRAHAM KAREL (1911-1944)

STRIK, JOHANNES JACOBUS (1915-1943)

STUIJTEVEK VAN DE HAARE VAN, F.M.D. (1892-1943)

SWART, S.A. (1910-1944)

SWARTHOUT DE HOOG, W. (1894-1943)

SWEETS, J.B. (1911-1943)

TASSENHORN, C. (1885-1944)

TASSENHORN, H. (1893-1944)

TESSENSOOHN, LEONARD JOHAN WILLEM (1913-1944)

TESSERS, ALEXANDER PAUL LOUIS (1913-1944)

TEUNISSEN, ERNST (1912-1944)

THEDENS, JOHANNIS HEINRICH REGINA NICOLAAS (1911-1944)

THIEL VAN, HENDRICUS FRANCISCUS (1915-1944)

THONI, JACOB JOHAN WILLEM (1915-1944)

TIDDENS, J.A. (1881-1944)

TIJWINK, G. (1903-1944)

TOLK, C. (1911-1944)

TOONEN, ANTONIE ADRIANUS (1901-1945)

TOPHOVEN, WILLIAM (1895-1944)

THIEBELS, B.G.B. (1899-1944)

TROUWBORST, THEODORUS FERDINAND (1906-1944)

TUIJL VAN, GERARD (1922-1945)

TUNSENS, ANDRE EUGENE (1922-1943)

TYAU, J.W. (1922-1943)

UNEN VAN, HENDRIK MARTINUS (1891-1944)

VAL PIET, JOHAN (1921-1944)

VALENTIEN, AUGUST (1913-1944)

VALENTIN, G. (1893-1944)

VALLETTE, LE ROBERT ROLAND (1912-1945)

VEEN VAN DER, ALBERT (1917-1945)

VEEN VAN DER, ANDREAS EDGAR (1923-1945)

VEEN VAN DER, J. (1893-1944)

VELDEN, L.H.W. (1917-1944)

VELDHUYSEN, GERARD (1911-1944)

VELP, A. (1912-1944)

VERMEU, J.W. (1921-1942)

VERMEULEN, FRANCISCUS DIRK (1893-1944)

VERHEUVEL, FRANCISCUS HERMANUS (1918-1945)

VERKADE, JOHANNES HENRICUS (1913-1944)

VERMAAT, ABRAHAM ADRIANUS JOHANNES MARINUS (1912-1943)

VERMEULEN, THOMAS WILLEM EDUARD (1904-1943)

VERMOLEN, FRANS (1911-1944)

VERRECK, HENDRIK LODEWIJK JOHANNES (1904-1945)

VERVEER, ARMAND BEREND (1913-1944)

VETH, JACQUES GERARDUS (1910-1945)

VET, JACQUES CORNELIS (1906-1943)

VIDAL, ANTONIE (1893-1943)

VINK, HENRICUS KAREL JOHANNES (1911-1944)

VISSHER, CONSTANT ADOLF (1893-1943)

VLADERACKEN VAN, K. (1888-1944)

VLEKKERT VAN DE, JANNETJE LAMBERTUS (1924-1945)

VLEKKERT VAN DE, GERARDUS ADOLF CORNELIS (1920-1945)

VLIET VAN DER, JAN (1915-1945)

VLIET VAN, JOHANNES CORNELIS (1895-1944)

VLIST VAN DER, ANTONIE NICOLAAS (1913-1943)

VOEGEL, FREDERIK WILLEM PAUL (1917-1945)

VOIGT, LOUIS EDUARD HENRI (1917-1945)

VOORWINDEN, G. (1893-1944)

VOLL, WILHELM WILFRED WOLFRAM (1921-1945)

VOOGT DE, HENDRIK GERRIT ANTOON KAREL (1901-1943)

VONCK, PIETER (1915-1944)

VONCKEN, HUBERTUS LODEWIJK (1901-1944)

VOS DE, C. WILHELMUS (1915-1944)

VOS DE, J.M. (1893-1944)

VOS DE, HENDRIK WILLEM (1900-1944)

VRIES DE, BAREND WILLY MATHEUS MICHAIL (1921-1945)

VRIES DE, H.M. (1914-1944)

VRIES DE, JAN GERRIT (1903-1944)

VRIES DE, L. (1893-1944)

VRIES DE, WILHELM ERNST (1913-1944)

VROOM, JOHANNES HARMEN JAN JOHAN CONSTANT (1901-1944)

VRIJHOFF VAN DER, GERRIT (1911-1943)

VUURPUL, P. (1893-1944)

WAAL DE, WILLEM (1913-1945)

WAAL, XANDER CHRISTIAN HENRI (1915-1944)

WAARD DE, FRANS ARNOLD (1912-1944)

WAARDENBURG VAN, FRANS GERARD (1907-1944)

WAAS, L. (1888-1944)

WAKELKAMP, REYNOUD STEPHANUS (1910-1944)

WAKELKAMP, WILLEM THEODORUS HENDRICKUS (1907-1943)

WAL, JOSEPH LOUIS (1891-1943)

WAMSTEEKER, JOHANNES ANTONIUS (1911-1944)

WASSINK, JAN CORNELIS (1911-1944)

WATER VAN DE, F.C. (1893-1944)

WATER VAN DER, J.F. (1894-1944)

WEDDEN VAN DER, J. (1911-1944)

WEERD DE, JAN (1893-1944)

WEIJERS, HENRI (1913-1944)

WESSELS, LOUIS HENRI (1913-1943)

WESTRA, GERRIT (1911-1944)

WESTRA, AUGUST VALERIAAN HUBERT (1907-1944)

WESTRA, HENDRIK (1911-1944)

WIGGERS, VICTOR EMILE (1894-1944)

WIELINGA, K. (1902-1944)

WIJK VAN, ADRIAAN (1911-1944)

WIJK VAN, JOHANNES MARINUS (1915-1944)

WILDEMAN, MARINUS (1903-1944)

WILDE DE, GUSTAAF (1904-1944)

WILLEMSEN, DIRK (1911-1944)

WINCKEL, GEORGE FREDERIK LOUIS (1914-1944)

WINCKLER, WILLEM CHARLES PETER (1915-1944)

WINKEL TE, JACOBUS CORNELIS (1914-1944)

WITTE VAN DER, JOHAN ADRIAAN HENRI (1911-1944)

WOERIK VAN, R.C. (1911-1944)

WOLFF, A.P. (1892-1944)

WOLFF, HARRY FRANS (1912-1943)

WORMS, WOUTER KAREL ERNST (1911-1944)

WOUDEN VAN DE, HENDRIK (1901-1944)

WOUTERS, SCHELTE (1914-1945)

WOUWERMAN, HENRI FREDERIK ANGERAUS (1915-1943)

WUIJSTER, JOHANNES MARIUS (1895-1944)

ZAND SCHULTEN, GERRIT (1911-1944)

ZEELENBERG DE, JOHANNES ANTONIUS (1922-1944)

ZEILINGER, FREDERICH ANTON (1911-1944)

ZEYN VAN, PETRUS THEODORUS MARIE (1917-1945)

ZIJLL VAN, CORNELIS WILHELMUS JOHANNES (1908-1943)

ZWART, WILLEM JACOB (1895-1944)

※写真からの自動文字起こしのために、誤っている箇所があると思いますがご了承ください。

公平性を標準化する ‐伝承「升塚」と判断の衛生管理‐

仕事をすすめることにおいて、おおきな課題とは何でしょうか。「失敗」や「悪意」…以外にもっと静かで、目に見えにくい課題があると考えられ、「基準の不在」が生み出す「ノイズ(判断のばらつき)」であると考えられます。

場所:福岡県北九州市小倉南区西水町

座標値:33.851673,130.892278

 

北九州市小倉南区に伝わるある古い伝承「升塚ますづか」を訪問した際に考えたことをまとめてみます。「見えないコスト」と、それを解決するための「システム構築」の本質について、ダニエル・カーネマンらの著書『NOISE』の理論とからめながら記してみたいと思います。

 

『北九州市史(民俗)』P.820に”升塚ますづか”が紹介されています。市史の概要を以下に引用してみます。

 

1. 升塚ますづかの概要

場所: 小倉南区西水町の「貴布祢きふね神社」にある。

 

特徴: 白石と黒石が2つ並んで立っている。白石には梵字と「康永こうえい二(1343)年」の銘がある。

 

意味: 当時の年貢や取引の基準となる「ます」の大きさを公的に定め、それを記念した塚である。

 

2. 伝承その1:村の主の命がけの直訴

かつてこの地域(企救郡きくぐん)は領主が頻繁に入れ替わり、年貢を測る「升」の基準が定まっていなかった(不公平な状況)。これを見かねた村の主が、基準を定めてもらうため鎌倉へ上り、3年間にわたって実情を訴えた。最後は「目安箱」に訴状を投じたが、願いが叶う前に主は無念の死を遂げた。後にその訴状を見た将軍が村人の境遇を哀れみ、計量に詳しい役人を派遣して正式な「升」を定めた。

 

3. 伝承その2:悲願の達成と村人の喜び

別の説では、上司に訴えが届かないことを嘆いた者が「公(上層部)の耳に達するまでは家に帰らない」と誓い、門外で力尽きたとされる。その後、ようやく訴えが公に通り、一定の基準となる「升」が完成した。村人たちは大いに喜び、3月13日にこの丘に集まって祝いの酒盛りをし、その印として石を建てて「升塚」とした。

 

4. 地域への広がり(矢山地区の編入)
村人たちが祝宴をあげている際、京都郡(みやこぐん)矢山の者が通りかかった。

「一番に極められた升(公認の正しい基準)」ができたことを聞き、その恩恵にあずかろうと、矢山地区も企救郡(きくぐん)に加わることになったと伝えられている。

康永二年の銘が刻まれている

この「基準の不在」は、当時生活していた地域住民におおきな不利益をもたらしたと考えられます。同じ量の作物を納めても、使う升によって評価が変わる。それは、生活を脅かす理不尽なギャンブルのようなものであったことが想像されます。

課題の分析:基準の不在が招く「コスト」

ノイズが生み出す「不公平」

1300年代の住民たちが苦しめられた状況を、現代の行動経済学・心理学の視点、特に書籍『NOISE』の理論で分析すると、「システムノイズ」という問題をみることができます。

 

『NOISE』では、判断におけるエラーを「バイアス(系統的な偏り)」と「ノイズ(ばらつき)」に分けて定義しています。 「バイアス」が全員が同じ方向に間違えること(例:全員が常に厳しすぎる)だとすれば、「ノイズ」は人によって、あるいはその時々の状況によって判断がバラバラになることを指します。

 

当時、升の大きさが定まっていなかった状況は、「判断のあるところノイズあり」という原則そのものであることがみてとれます。 ある役人は大きな升を使い、別の役人は小さな升を使う。これを別のたとえで言うと、同じ犯罪を犯した被告人が、たまたま担当になった裁判官の厳しさによって、執行猶予になったり懲役刑になったりする「量刑のノイズ」と同じ構造です。

 

現代組織における「見えない升」

書籍では、こうした状況を「制度的宝くじ(システムノイズ)」と呼び、強く批判しています。 「どの担当者に当たるか」という運次第で、税金の額や刑罰、あるいは保険料が変わってしまう社会は、公平性が著しく欠如しており、人々の信頼を損ないます。

 

働いている職場におきかえても、あてはまる場面があるのではないかと考えられます。「明文化されていないルール」や「人によって異なる判断基準」がたくさんあるように感じます。

 

• A課長は「残業してでも終わらせろ」と言うが、B課長は「定時退社が正義」と言う。

 

• ある担当者は顧客の要望を柔軟に受け入れるが、別の担当者は規則一点張りで断る。

 

基準(升)が統一されていない職場では、働くひとは「誰の顔色をうかがえばいいのか」という無駄な推測にエネルギーを浪費します。これは職場…組織…にとって「莫大な見えないコスト」となります。「基準がない」ということは、単なる効率の低下だけでなく、組織に対する不信感と精神的な摩耗を生み出すと考えられます。



プロセスの検証 ‐率先した行動とシステムの確立‐

3年をかけた「公認の升」

伝承によれば、この状況を憂いた村の主(長)は、自ら鎌倉幕府へ直訴に向かいます。往復になんと3年もの歳月を費やし、ついに幕府公認の「升」を持ち帰りました。この村の長の行動がすばらしいと感じるのは、単に目の前の「あくどい役人」を追い払ったのではなく、「公認の升」という「ずっと使うことができるシステム(ルール)」を持ち帰った点にあると考えます。

 

ルール(アルゴリズム)はなぜ優れているか

『NOISE』のなかで、著者のカーネマンらは「ルールやアルゴリズムが人間の判断より優れているのは、単純にノイズがないからだ」と断言しています。 人間は、その日の気分や体調、直前の出来事によって判断がブレてしまいます(機会ノイズ)。しかし、物理的な「升」や、明確に定義された「ルール」は、いつ誰が使っても同じ結果を返します。

 

村の長が持ち帰ったのは、「判断のばらつき(ノイズ)をゼロにするアルゴリズム」だったと考えることができます。書籍には、「単純なルールに従うだけで、専門家の複雑な判断よりも精度が高くなる」という研究結果が示されています。村の長は、個人の裁量や感情が入る余地をなくし、物理的な規格(ルール)に判断を委ねることで、地域に公平性をもたらしました。

 

公平性がもたらす波及効果

基準が明確になったことで、となり地区の矢山地区の人々までもが、この「基準となる升」を使うシステム(企救郡)への参入を希望したといいます。 これは、「ノイズのない公平なシステム」がいかに人々を惹きつけ、信頼を生むかを象徴しています。不確実で理不尽な『くじ引き』のような世界よりも、予測可能で公平なルールのある世界が、一般的には望まれるのではないかと考えられます。単なる感情的な好みの問題ではなく、個人のパフォーマンスを最大化させるための、合理的な志向だととらえることができます。

 

現代的応用:デジタルの「升」を作る

『NOISE』では、ノイズを減らすための手法として「判断・ハイジーン(衛生管理)」という概念を提唱しています。これは、特定の病気を治す治療ではなく、手洗いのように「予防的」にエラーを防ぐための手順です。

 

ツールを活用した「構造化」

1. 情報の構造化とルールの明確化

書籍では、判断を分解し、独立して評価する「構造化」の重要性が説かれています。 例えば、NotebookLMのようなAIツールを活用し、分散されている業務マニュアルや、過去の事例などを「知的資産」として統合することは、現代の「升」作りと考えられます。AIは感情や疲労によるノイズがないため、常に一定の基準で情報を整理・提示してくれます。

 

2. 共有された尺度の導入

「良い企画」「頑張っている部下」といった曖昧な言葉は、ノイズの温床となります。 書籍では、人事評価において「相対的な判断」や「共通の尺度(ケース尺度)」を用いることでノイズを大幅に減らせるとしています。 メモアプリやタスク管理ツールを用い、「何をもって良しとするか」という基準(アンカー)を具体的な事例とともにチームで共有することで、個人の主観によるばらつき(レベルノイズ・パターンノイズ)を防ぐことができます。

 

例)ホテルの「ベッドメイキングの見本写真」

新人スタッフに「きれいに掃除して」と指示するだけでは、人によって「きれい」の定義が異なります。これが「主観によるばらつき(ノイズ)」です。

 

このノイズを防ぐために『この状態が100点満点の完成形です』という写真を、スマホでいつでも見られるようにしておく。

 

効果: 具体的で動かしようのない「正解(アンカー)」があることで、個人の感覚に頼らず、全員が同じクオリティを再現できるようになります。

アルゴリズムを味方につける

カーネマンらは、「アルゴリズム(単純なルール)の使用は、人間の判断におけるノイズを排除する唯一の方法である」と述べています。 日々の仕事において、「Aの場合はBをする」といったシンプルなチェックリスト(アルゴリズム)を導入することは、創造性をなくすことではないと考えられます。むしろ、不要な迷い(ノイズ)を排除し、人間が本来注力すべき「共感」や「複雑な意思決定」にリソースを割くための土台となると考えます。


共通の物差し(標準化されたプロセス)を持つことは、個人の「経験から導かれる勘(当てずっぽうの判断)」を減らし、チーム全体の業務負担と精神的ストレスを軽減することに繋がります。

 

まとめ

西水町の「升塚」は、地道に「公平な土壌」を整えようとした、リーダーの貢献の記録であると考えます。『NOISE』の”結び”で、著者たちはノイズ削減の取り組みを「見えない勝利」と表現しています。 手洗いを徹底して感染症を防ぐのと同じように、ノイズを減らすためのシステム構築は、それが成功しているときほど「何も起きない」ため、称賛されにくいと予想されます。手術が成功すれば外科医は感謝されますが、手洗いを徹底して感染を防いだスタッフが個別に感謝されることはありません。

 

しかし、3年をかけて「升」を持ち帰った村の長のように、「予測可能な公平性」というインフラを整えることこそが、結果として最も多くの人の手助けをおこない、組織を繁栄させる方法であると考えられます。

北九州の「5人」から「3人」への家族史

この表は、『北九州市史(民俗)』P.6に掲載されている「世帯当たり構成人数の推移」をあらわしたものです。この統計表から、当時の日常を想像してみたいと思います。数値を時系列で追い、地域ごとの差異を比較することで、北九州市が経験した「家族の形の変化」と「都市機能の分化」が想像されます。

 

1. 「大家族」から「核家族」への変化

まず全体を俯瞰して最も顕著な事実は、構成人数の劇的な減少傾向です。

 

大正9年から昭和10年頃にかけての数値を見ると、北九州市全体で「4.49人」から「4.85人」の間で推移しています。小倉北区(当時は小倉市の一部)では、大正9年時点で「5.08人」という数値を記録しています。

 

平均が5人を超えるということは、当時の社会において「3世代同居」や「多子世帯」が標準的な家族モデルであったことが予想されます。事業活動の大部分が人間の労働力に依存する産業が中心だった当時、家族は単なる共同体である以上に、生活を維持するための最小単位の「組織」としての機能を有していたと考えられます。

 

ここで、北九州市の中心地の小倉北区、やや郊外的位置にあたる若松区に焦点をあてて、一世帯あたりの家族数をグラフ化してみます。比較のために、北九州市の平均値も示しています。

昭和30年代(1955年~1964年)を境に、一世帯あたりの家族数が減少していっているのがわかります。 昭和60年(1985年)の時点では、市全体で「2.95人」となり、「3人」を下回りました。わずか半世紀の間に、1世帯あたり約2人の家族が減少したことになります。

 

これは高度経済成長に伴う産業構造の変化と、都市化がもたらした「核家族化」の進行を客観的に裏付けるデータです。「祖父母・親・子」という垂直的な家族構成から、「夫婦と子」あるいは「夫婦のみ」という水平的かつ、小規模なユニットへと、家族というシステムの最適解が変化した結果と考えられます。

 

2. 戦争と復興

統計の推移は、直線的な減少だけを示しているわけではなく、特定の時期における数値の「波」に注目すると、日本の歴史的な出来事が北九州市民の家庭にどのような影響を与えたかが読み取れます。

 

昭和15年(1940年)から昭和20年(1945年)にかけて数が大幅に減少したあと、一時的に数が回復しています。

 

多くの区において、昭和15年をピークに昭和20年には数値が低下しています。

小倉北区:5.09(昭和15年)→ 4.49(昭和20年)

若松区:4.78(昭和15年)→ 4.74(昭和20年)

 

この「波」は何を表しているのでしょうか?昭和20年(1945年)は、第二次世界大戦の終戦の年です。この数値の低下は、出征による男性の不在、疎開による家族の離散、そして空襲などの戦災による死別といった、社会的な混乱が統計上に現れたものと考えられます。ほんとうなら、維持されるはずだった家族の構成員が、戦争によって強制的に減少させられた結果です。

 

しかしその後、昭和25年から30年にかけて、多くの区で数値が再上昇しています。

 

八幡東区:4.25(昭和20年)→ 4.55(昭和25年)→ 4.62(昭和30年)

 

これは復員による家族の再統合に加え、いわゆる「第一次ベビーブーム」の影響が反映されていると予想されます。戦後の復興期、北九州の工業地帯が活気を取り戻すプロセスにおいて、人口増加と家族規模の拡大が同期していたことがわかります。

 

3. 都市機能の分化:都心部とベッドタウンの乖離

昭和40年代(1965年から1974年)以降のデータに目を向けると、減少傾向の中にも地域(区)による明確な差が生じていることに気づきます。これは、北九州市が政令指定都市として発展する過程で、各区が担う役割(都市機能)が分化していったことを示しています。

 

都心部(小倉北区・八幡東区)の急減

昭和60年時点で、市全体の平均が2.95人であるのに対し、小倉北区は「2.67人」、八幡東区は「2.87人」と平均を下回っています。

 

かつて大正時代に5人を超える大家族を擁していた小倉北区が、最も構成人数の少ないエリアへと変貌しました。これは都市の中心部において、商業施設やオフィスビルが集積する一方で、住環境としては単身世帯や高齢者世帯の比率が高まったこと、すなわち「ドーナツ化現象」の進行を示唆しています。職住近接が当たり前だった時代から、都心は「働く場所」や「消費する場所」へと、都市の性質が変わってきたと考えられます。

 

郊外・住宅地(若松区・八幡西区・小倉南区)の維持
一方で、周辺の区では比較的高い数値を維持しています。

 

若松区:3.13人

小倉南区:3.19人

八幡西区:3.05人

 

これらの区が昭和60年時点でも3人台を維持している点はだいじだと予想されます。昭和40年代から50年代にかけて、団地開発やニュータウンの造成が進み、子育て世代(ファミリー層)がこれらの地域に流入したことを裏付けています。

 

特に若松区を見ると、昭和30年代から40年代にかけての減少幅が、他区に比べて緩やかであることがわかります。産業の街としての性格を持ちながら、家族単位での定住性が高い地域であったことが推測されます。このデータからは、都市が「働く機能(都心)」と「住まう機能(郊外)」に物理的に分離していったプロセスがはっきりとわかります。

 

下図は、核家族化が加速した昭和30年(1955年)から昭和60年(1985年)の30年間に焦点をあて、「減少のスピード」を可視化したグラフです。赤線が若松区、青線が小倉北区です。

小倉北区【青線】は、昭和30年(1955年)のスタート地点は「4.55人」で、若松区とほぼ同じでした。しかし、その後の坂道が急降下しています。30年間で「マイナス1.88人」となり、2人台まで一気に縮小しました。

 

若松区【赤線】は、昭和30年(1955年)のスタート地点は「4.63人」と最も高い数値でした。青い線に比べて、坂道の角度が緩やかです。30年間での減少は「マイナス1.5人」に留まり、昭和60年時点でも「3人以上の家族」というシステムを維持していました。

 

若松区が都市化の波を受けつつも、「家族で住み続ける場所(ベッドタウン)」としての機能を強く保持していたことが、このグラフから読み取れます。

 

4. 家族機能の「外部化」とシステムの変容

統計データが示す「家族の人数の減少」は、単なる規模の縮小ではなく、家族というシステムが社会の中でどのように機能するか、その「構造(アーキテクチャ)」が根本的に変化したことを示しています。

 

以前の「5人以上の世帯」は、「自己完結型のシステム」でした。 家事、育児、介護といった生活に必要な機能の多くを、世帯内の人的リソースだけでまかなう構造です。例えば、誰かが家事をしている間に別の誰かが子供を見る、あるいは体調不良の家族がいれば他の家族がカバーするといった具合に、世帯内部でトラブルを解決(処理)することが基本となっていました。これは「内部で完結できる」という強みがある反面、個人の役割が固定化されやすい側面もあったと言えます。

 

一方で、昭和30年代後半(1955年後半〜1964年頃*1)から主流となった「核家族(3人以下の世帯)」は、「外部接続型のシステム」ととらえることができると考えられます。 世帯内の人数が減ったことで、すべての機能を内部だけで処理することは物理的に難しくなりました。その適応策として進んだのが、機能の「外部化」です。

 

食事の支度 → 中食・外食産業、流通システムへ

日中の保育 → 保育園・学童・学校へ

高齢者のケア → 介護施設・デイサービスへ

 

以前は、家庭内にあった機能が、社会システム(インフラ)側へと移管されました。これは「機能不全」になったのではなく、社会全体の分業が進み、家庭はより身軽なユニットとして機能するように「最適化」されたととらえることができます。

 

昭和60年(1985年)までのデータからは、「内部の人的リソース」に依存する暮らしから、「外部の社会サービス」と接続して暮らすスタイルへと移行した経緯が読み取れると考えられます。

 

育児や介護に難しさを感じる場面があるとしても、それは「家族の力が弱まった」からではなく、システムが「外部とうまく接続すること」を前提とした構造に変化したため、その調整や連携という新しいタスクが必要になった、という時代の変化によるものなのだと考えられます。

*1:高度経済成長期の只中である