場所:福岡県田川郡添田町大字英彦山
座標値:33.481529,130.889550
彦山川上流域にある龍門峡へは、英彦山へとのぼる国道500号線から分岐する脇道を進みます。脇道の先にある鋼の大鳥居をくぐり、苔むした参道を進むと、石造りの龍神様が祀られています。
場所:福岡県田川郡添田町大字英彦山
座標値:33.481529,130.889550
彦山川上流域にある龍門峡へは、英彦山へとのぼる国道500号線から分岐する脇道を進みます。脇道の先にある鋼の大鳥居をくぐり、苔むした参道を進むと、石造りの龍神様が祀られています。
大分県中津市にある耶馬渓(やばけい)では、2019年11月24日時点、紅葉がみごろを迎えていました。観光スポットとして有名な「一目八景(ひとめはっけい)」周辺(座標値:33.371868,131.165120)からの紅葉の風景は、もちろん美しいです。
一方で、一目八景展望台よりも、やや標高の高い場所にある「一ツ家」という蕎麦屋さん(座標値:33.370249,131.168372)ふきんでは、紅葉のトンネルとなっていました。
これら「一目八景」や、「一ツ家ふきんの紅葉のトンネル」は、大分県道28号線沿いにあります。28号線を南下していくほど、標高が高くなっていくわけですが、標高が高くなるほど、周囲の紅葉の美しさが増していく印象をうけました。
今回ご紹介する以下の写真は、「一目八景」ふきんにある遊歩道で撮った写真です。遊歩道は、深耶馬渓(しんやばけい)の公共駐車場(無料)から川をはさんで西へ渡った場所にあります。遊歩道の入口の座標値を掲載しておきます(座標値:33.374916,131.165878)
この遊歩道の入口から川沿いに徒歩で10~15分ほど南下すると、一目八景展望台まで移動することができます。蕎麦屋さんや、おみやげ屋さんの裏側を川沿いから眺めます↓
朝はやくから、これらのお店や温泉では、火をたいているのがわかり、寒空に各所からでる煙が立ち上ります。
紅葉の時期まっただなかの深耶馬渓では、昼間はたくさんの人たちが訪れるようです。しかし、早朝だと休日でも人はまばらなので、ゆっくりと周囲の景色を楽しむことができます。わたしが深耶馬を訪れたのは2019年11月24日の朝6時45分頃。早朝だと2~3組の方たちとすれ違うだけでした。
6時50分ごろ、空に広がる雲に陽があたり、空が赤く染まりはじめました。散策路は林の中を抜けています。まだ薄暗い林のなかから眺めると、外の紅葉の鮮やかさが引き立ちます。
朝は光が淡く弱いのですが、モミジの葉も光に透かして眺めると、幻想的な雰囲気となります。わたしは、モミジの、緑から黄色 紅色へと移ってゆくグラデーションがとても美しいと感じます。
紅葉がゴツゴツとした奇岩とともにみられるのが、ここ深耶馬渓の特徴だと感じます。
以下の写真は、「一目八景」や「一ツ屋ふきんの紅葉のトンネル」から、さらに南下した(標高の高い場所に移動した)場所で撮った写真です。寒暖の差がより大きいためか、紅葉の鮮やかさがいちだんと強いと感じました。(撮影場所の座標値:33.343670,131.175223)
大分県の紅葉は、まだまだ見ごろが続くと考えられます。特に、国東半島では比較的標高の低い、「富貴寺(ふきじ)」や「旧千燈寺(きゅうせんとうじ)」では、イチョウが落葉し、黄色のじゅうたんができあがる時期がこれからになると予想されます。
大分県玖珠(くす)郡の古後(こご)にある「立羽田(たちはた)の景」。昔ながらの村の風景に、イチョウやモミジの紅葉が溶け込んでいます。2019年11月24日現在、見ごろを迎えています。
場所:大分県玖珠郡玖珠町大字古後
座標値:33.3415842,131.1133320
中津市の耶馬渓(やばけい)…一目八景(ひとめはっけい)でも、紅葉は見ごろでしたが、比較的標高の高い…玖珠郡寄りの場所のほうが、全体的に彩りが鮮やかと感じました。
鹿児島市内で見つけた、田の神様のご紹介です。鹿児島の田の神様は、インターネットのサイトでも、Google Map上でもまとめてくれている方がいらっしゃるようで、探索が円滑にいきました。
(参照)
http://5.travel-way.net/~niemon/kagosima/tanokami/tanokami.html
鹿児島市の東谷山という地区にある公園に、その中のひとつの田の神様を見つけることができました。鹿児島市内では、田んぼの傍に祀られているという、田の神様のイメージとは異なり、公園など公共の広場の片隅に、田の神様が祀られていることが多かったです。
場所:鹿児島県鹿児島市東谷山5丁目
座標値:31.5286846,130.5139504
どういう理由かは不明ですが、顔の中心に大きな穴があいていて、頭には大きな甑(こしき;米・豆などを蒸すのに用いた道具)を乗せていることが表現されています。
そして裾や袖の長い着物をまとっています。
こちらは、鹿児島市の上福元町でみつけた田の神様です。造形がはっきりとしており、両手にはしゃもじと茶碗を持っています。
場所:鹿児島県鹿児島市上福元町
座標値:31.5262937,130.5040273
どうも、食や農業にかかわる道具を身にまとっていることが多いようです。隣には水神様の石塔も祀られていました。
上福元町の田の神様は、ディスカウントストアの駐車場脇に祀られていました。どちらの田の神様も、田んぼや農業とは関わりのなさそうな街なかに祀られていました。
おそらく、これら田の神様がつくられ祀られた当時は、あたり一面、田んぼが広がっていたと想像されます。
田の神様がつくられ始めたのが18世紀初めで、霧島の新燃岳の活動は当時も活発でした(1716~1717年に大規模な噴火が起きている:参照)
また、江戸時代、薩摩藩では経済状態が厳しく、少しでも農産物の収穫を増やそうと、稲作を奨励していました。このような政策のなかで、稲の豊作を願うために「よりどころの像」である、田の神様を作るようになったといわれています(参照)。
九州のなかでも薩摩、日向、大隅という、南部の一部地域しか、田の神様が分布していないことが、希少度を高めています。
1.仏像型 → 僧型 → 旅僧型
2.神像型 → 神職型 → 田の神舞型
(または神舞神職型)
…と2つの系統に分かれ、地域によって神像の形態が違ってもきているようです(参照)
同じ九州のなかでも、北部と南部では風土が異なるので、また違った風習を発見することができます。
鹿児島では、他地域と比較し、火山に関わる風習や地形を、多く見つけることができたと感じます。
池田湖から眺める開聞岳↑いずれも昔の火山活動でできた地形です。
生前に、死後の冥福(めいふく)を願う「逆修供養」という考えがあります(参照)。その逆修供養のためにたてた板碑が、熊本県水俣市にあるという情報を得て、行ってみることにしました。
場所は、熊本県水俣市の袋という地区です。水俣市を南北に走る交通量の多い国道3号線から、東へ少し入りこんだ場所に時常の板碑は祀られています。
場所:熊本県水俣市袋
座標値:32.173622,130.384525
こちら↓が時常の板碑です。板碑は石祠のなかに入れられています。
板碑の表面は風化により、ほとんど何が刻まれているのか判別することができませんでした。
近くにある案内板には、この板碑に刻まれる像や文字の説明が丁寧になされています。刻まれている文字は以下のようなものです。
妙金
謹奉彫刻地蔵尊容意趣者経日
現世安穏 後生善處
以道受楽 亦得聞法故也
大願主 定蔵院朝全
干時長享三年巳酉九月廿四日
作者比丘安修
敬白
元号が「長享三年」ということなので、西暦1489年ととても古い板碑であることがわかります。また願主が定蔵院の朝全で、板碑をつくったのが安修という比丘であったことがわかります。
そして、これらの文字以外に、地蔵菩薩も刻まれているそうです。地蔵菩薩と上記の銘文の説明が、同看板に以下のように紹介されていました。要点を箇条書きで記していきます。
時堂の板碑
・記年銘のある石造物としては市内最古のもの
・板碑の中央には円相内に地蔵尊の種子「力」が刻まれる
・「力」の下に蓮華座の上にたつ地蔵が刻まれる
・地蔵の両側に銘文がある
銘文の説明
法華経をよく理解し、信じ実行したものは現世で安らかな生活ができ、次の世においても安穏な生き方ができる。またそこで再び修行を行うことにより仏法のレールにのって生きることができ楽を受ける
板碑に刻まれる地蔵尊の説明
・地蔵は二重線で表現された円光背を背負う
・地蔵は右肩に錫杖(しゃくじょう)をかたげる
・衣は向かって右側にたなびく
・宝珠をもった右手が胸元に置かれる
↓こちらは時堂の板碑への入口を写したものです。農道脇のちょっとした広場になっており、広場の中央には大樹がたっています。大樹の根元に今回ご紹介した板碑が祀られていました。また広場奥には木造の地蔵尊が2体祀られていました。
水俣市の史跡をさがしてはみたものの、この板碑と水俣城跡以外に、めぼしい史跡がなかなか見つかりませんでした。古い街並みが残る町なので、町史や市史などを参考にすると、ほかにも史跡が見つかりそうな感じがします。
熊本県水俣市の湯の児(ゆのこ)海水浴場で見られる砂洲(さす)です。引き潮になると、陸地と湯の児島との間に、下の写真のような、砂の橋が現れます。北東の海岸と、南西の海岸とが、くっきりと別れていて、なかなか珍しい景色です。
場所:熊本県水俣市 湯の児海水浴場
座標値:32.2356440,130.4181369
鹿児島県の薩摩半島に「鰻池(うなぎいけ)」という火山湖があります。周囲長は4.20 kmと、とても小さな湖です。みかけは湖というよりも貯水池という印象です。その鰻池のほとりに「鰻(うなぎ)」という珍しい名前の、これまた小さな集落があります。この集落は温泉が湧いており、鰻温泉として名が知られています(参照)。
鰻集落の南端に、鰻地蔵板碑と呼ばれる1333年に造られたとても古い板碑が祀られています。その板碑がこちらです↓
場所:鹿児島県指宿市山川成川
座標値:31.226209,130.611804
この板碑には「地蔵」を表す梵字が刻まれています。梵字の刻まれている箇所は白く変色しています。板碑の風化を防ぐために、何か別の種類の素材で補強したのでしょうか。
近くにある案内板には以下のような説明が記されていました。
こうした地蔵信仰が鰻地区に定着したのは、ここに「地蔵」があったためでしょう。今もなお、近隣の住民たちによる信仰があついものがあります。(特に一月十五日・十六日のウナッメイ)
また、この板碑には北朝年号が使用され、この地が北朝方の勢力圏だったことをうかがい知ることができます。
造形的には、関東の板碑によく似て、その古式を伝え、歴史上貴重な資料です。
鰻地区には、地蔵菩薩を信仰する風習が強かったことがわかります。それにしても「一月十五日・十六日のウナッメイ」とは何なのでしょう?こちらのブログ(2013年01月19日 アイガモ日記)を拝読しますと、ウナッメイとは「鰻参り」のことのようです。
鰻地区には火山性の噴気孔がいくつもあり、この世とあの世を繋ぐ入り口があると信じられてきたことから黄泉がえりの伝承が生まれたと言われてます。毎年1月15、16日には死者の供養を願う多くの人が参詣に訪れる<鰻参り>が行われ、その日は黄泉の蓋が開き、故人の魂が自由に往来できるとして言い伝えられています。
たしかに、鰻地区を歩いてみると、各所に硫黄のにおいがする噴気孔があり、蒸気がわいていました。↓こちらが鰻地区を俯瞰した写真です。左奥に見えるのが鰻池です。
とても小さな集落に、このような独特の風習が残っているのですね。その鰻参り(ウナッメイ)では、地蔵菩薩のお札が配られるのだそうで、どうも亡くなったご先祖さまを偲び、敬うための風習のようです。「指宿まるごと博物館-ウナッメイ」では鰻参りの様子が動画でも紹介されています。板碑が祀られるのは、小さな敷地ですが、たくさんの参拝者でにぎわっています。
↑こちらは板碑のすぐそばにあるお堂の内部を写した写真です。中央に祀られるのは、木造の地蔵菩薩です。参拝者は板碑にお参りしたあと、こちらのお堂に手をあわせます。
↓こちらが鰻池です