大分県宇佐市の院内町(いんないまち)に、西椎屋という地区があります。西椎屋の滝という直下型の立派な滝がある地区ですが、この地区に「西椎屋神社」が祀られています。西椎屋神社に庚申塔が祀られているということで、行ってみた際、集落にある棚田が美しく写真を撮りました。曇りの朝の、やわらかな光をうけた田園です。
場所:大分県宇佐市院内町西椎屋
座標値:33.3718225,131.2632822
大分県玖珠郡九重町の恵良駅から、熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅まで通っていた宮原線(みやのはるせん)。1984(昭和59)年に廃線となった宮原線ですが、いまでも一部の廃線跡は残されています。
↓こちらのコンクリート製の立派な橋梁は、熊本県の北里という地区に残されているもので、3連のアーチとなっています。
場所:熊本県阿蘇郡小国町北里
座標値:33.145121,131.110777
国道387号線から少し外れ、熊本県の山川温泉が湧いている地区へと延びる道と交差する形で、この橋梁は架かっています。
宮原線跡について、詳細に紹介していただいたいるサイトがこちらです。こちらのサイトを元に、宮原線の廃線跡をたどってみました↓
http://www.hotetu.net/haisen/Kyushu/101009miyanoharusen.html
大分県玖珠郡九重町の恵良駅から、熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅まで通っていた宮原線(みやのはるせん)。1984(昭和59)年に廃線となった宮原線ですが、線路跡や橋梁(きょうりょう)、トンネルなど、一部の施設は現存しています。
↓こちらは熊本県側にある堀田橋梁で、コンクリートでできた4連アーチ橋です。橋の表面は苔むし、赤茶色に変色しています。それがなお一層、橋の重厚感をひきだします。
場所:熊本県阿蘇郡小国町大字北里
座標値:33.147485,131.108445
大分県から熊本県まで南北、縦に走る国道387号線。国道387号線からすこし外れた、細い道から写真を撮りました。堀田という地区の集落へと続く細い道をまたごすように、この橋梁がつくられています。
現在、使われなくなった堀田橋梁は、道路をまたごしている部分は、撤去されています。おそらく老朽が進み、道路に橋の一部が落ちてくるためなのでしょう。
大分県玖珠郡九重町の恵良駅から、熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅まで通っていた宮原線(みやのはるせん)。1984(昭和59)年に廃線となった宮原線ですが、いまでも一部の廃線跡は舗装され車道となり、トンネルの一部も使用されています。↓こちらのトンネルもそのひとつです。
場所:大分県玖珠郡九重町大字菅原
座標値:33.186034,131.156029
大分県の温泉街である宝泉寺(ほうせんじ)温泉と、川底温泉とのちょうど中間あたりにあるトンネル跡です。車が通れます。自動車専用のトンネルとは形が明らかに異なり、半円形ではなく卵型になっています。
このようなトンネル跡は、ここ一か所だけでなく、宮原線が山間部を通る場合は、いくつもトンネルとなっています。なかには、出口が遠くみえない長いものもあります。そのような長いトンネルの場合は、さすがに車なしで入っていくのに、とても勇気がいります。
トンネル入口で耳をすませると、「キーキー」という、なにやら”ケダモノ”の声が聞こえます。おそらくコウモリの住みかとなっているのでしょう。
トンネルとトンネルとの間は、↑このような林道となっています。むかし、鉄道が走っていたとは想像がしにくいほどの山の中を道が通っています。しかし、道は急なカーブがありません。カーブがあったとしても、写真のように、ゆるやかなカーブとなっています。このことが、「確かに、元鉄道であった」という雰囲気が漂います。
この線路跡は、地形図でもGoogle mapでも確認ができないために、実際に現地にいって確かめるしかありませんでした。
宮原線跡について、詳細に紹介していただいたいるサイトがこちらです。
http://www.hotetu.net/haisen/Kyushu/101009miyanoharusen.html
地形図上に、宮原線がどこを通っていたのかを記載してくれているので、この情報をもとに、わたしも地形図上に印をつけ、実際に足を運んでみました。
大分県玖珠郡九重町の恵良駅から、熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅まで続いていた宮原(みやのはる)線。いまはもう廃線となっています。この写真は、その宮原線の一部…塩井橋梁(きょうりょう)です。
場所:熊本県阿蘇郡小国町大字北里
座標値:33.146601,131.1108717
この橋梁を写真に撮ろうとしたときに、ちょうど朝日が後光のように差しました。とても美しい景色でした。
福岡県遠賀郡岡垣町の吉木という地区に、隆守院という寺院があります。この寺院の入口ふきんに今回ご紹介する庚申塔が祀られていました。
吉木という地区には、今回の庚申塔とは別に、福岡では珍しく青面金剛像が刻まれた庚申塔があります。
今回ご紹介するのは、こちらの文字塔です。
場所:福岡県遠賀郡岡垣町吉木
座標値:33.8580014,130.6027986
「奉拝 庚申塔」と正面に刻まれています。
塔に向かって右側面に「宝永七年 正月吉日」と刻まれます。
宝永七年は西暦1710年です。
吉木という地区は、細い路地が迷路のように走っていて、昔からの街並みが残っている地区です。車はかろうじて2台すれ違うことができる幅です。
一方で、この庚申塔が祀られる隆守院には専用の広い駐車場があります。少しだけ駐車場に停めさせていただきました。駐車場からでも、庚申塔が祀られているのが、見ることができました。
庚申塔の隣には、岡垣四国霊場 56番札所のお堂がありました。
『岡垣町誌』P948-949に、岡垣の庚申塔一覧表が記載されています。そのうちのひとつ、福岡県遠賀郡岡垣町 手野という集落入口の庚申塔を訪ねました。P949には「字(あざ)招キ 手野入口」とまで場所の説明がされていました。
手野という集落のどの部分が入口なのかは不明なので、まずは地形図で集落の中央部へと向かう道の入口に印をつけて場所の目ぼしをつけました。集落内に続く道は数か所あるために、ひとつひとつ足を運んでたしかめてみました。
運が良いことに、比較的容易に目的とする庚申塔を見つけることができました↓
場所:福岡県遠賀郡岡垣町大字手野
座標値:33.870135,130.584167
位置としては、手野の集落の北東部。道の分岐点に庚申塔が祀られていました。塔頂部がとがって三角形となっており、特徴的な形の庚申塔です。
塔には「庚申塔」と刻まれ、その文字に向かって右隣に、読み取りにくいですが、「文化…」という文字が確認できました。
「文化」の下の文字が確認できないため、『岡垣町誌』P949の力を借ります。ここには「文化十五戌寅天□□」と紹介されています。文化十五年は西暦1818年です。