昔、大分県の宇佐市・豊後高田市に住んでいたとき、近所にある各所史跡をみつけては、足を運んでいました。でもその当時は、図書館などの資料を調べて、どこにどんな史跡があるのか下調べしてから史跡を探す…など、行なっていませんでした。
そのため、長い間住んでいた地域でも、まだまだみつけていない史跡がゴロゴロとあります。大分県に用事があり、そのついでに足を運んだのが、今回ご紹介する下市磨崖仏(しもいちまがいぶつ)です。
場所:大分県宇佐市安心院町下市
座標値:33.442511,131.350398
「安心院」と書いて「あじむ」と呼ばれる町の、北端にこの磨崖仏は祀られています。不動明王坐像を中心にぜんぶで10体、岩壁に仏様が刻まれており、10体を総称して下市磨崖仏とされます。下市というのは地名からつけられたようです。
下市磨崖仏が祀られている場所は、火産霊(ほむすび)神社と呼ばれており、↓下の写真のように、鳥居で仕切られた空間となっています。鳥居をくぐって正面に拝殿があります。その拝殿の手前左側岩壁に磨崖仏が刻まれています。 神様の空間に、仏様がたの姿が刻まれているとは、なんとも不思議な場所です。
しかし、どうして、神社に仏様が刻まれてたのでしょう?その経緯が案内板に紹介されていました。
下市磨崖仏から南西へ約150mいった場所に三女神社が祀られます。この三女神社に関連する神社として、火産霊(ほむすび)神社はつくられました。
それが西暦500年ごろです。神社がつくられてから後の室町時代(1300~1500年頃)に、この地に高僧がおとずれ、三女神社を参拝したあと、火産霊神社境内にある岩山に仏様を刻んだとされています(参照:案内板)。
宇佐国東地域は、このように神様と仏様との信仰が明確に区別されず、ゆるく溶け合う文化が栄えた地域です。火産霊神社もその一例と考えられます。
神社自体は火産霊神社という名称ですが、磨崖仏のひとつである不動明王様をふくめ、この場所は「生き不動」とか「乳不動」と呼ばれています。
産後の母が不道明王像に粥を供えて、そのお下りを食べたところ、乳が出るようになった(参照:下市磨崖仏 - Wikipedia)という伝承が残っているためです。
下市磨崖仏は川を隔てて、安心院の町からは少し離れた場所にあります。駐車するための十分なスペースもあり、人に気兼ねすることなく、ゆっくり撮影することができました。