日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

下血(げけつ)とは何?血便との違いは?

身近なかたで下血(げけつ)により、入院されたかたがいました。下血の症状が確認されていたにもかかわらず、下血に対する知識がなく、病気をみのがしてしまったので、勉強メモとしてまとめてみます。下血とはなんなのか?今後、どんなことに注意をしてサポートする必要があるのか?

 

下血とは?どういう症状?

便の色が黒くなる

はじめに下血の症状が確認できたのが、トイレのなかでした。便の色が通常の色とは異なり、真っ黒となっていました。黒くねっとりとした特徴のある便で、黒色便(こくしょくべん)あるいはタール便とも呼ばれるそうです。

 

これは便のなかに、消化管から出た血液が混じっている状態だそうですが、どうして真っ赤ではなくて、真っ黒なのか?それは出血の場所が肛門から遠いために、血液の色が変化するためだそうです。

 

血液の色が変化するというのは、どいういうことなのでしょう?それは血液のなかのヘモグロビンが消火液(胃液など)により変化するためなのだそうです。ヘモグロビンが消化液により酸化され変化すると、暗褐色となります参照

 

上部消化管…食道、胃、十二指腸…で起きた出血が下血となります。

 

いっぽう、大腸下部のS状結腸や直腸など、消化管のさいごの箇所でおきた出血だと、消化液の影響が少ないので、血液は真っ赤な状態ででてきます。これが血便といわれます。

 

血圧が低下する

ふだんの生活では血圧が異常におちるということはなかったのですが、負荷のかかる運動をしたあと、ときどき顔面が蒼白となり、目がうつろ会話の反応が遅くなることがありました。たとえば、腹圧がかかるような運動や、座った状態から立ち上がる運動をしたとき、このような症状がでることがありました。

 

特に、食事のあとに顔面蒼白などの症状がおきることがありました。食後におきていたために、起立性低血圧の症状であると、わたしは勘違いをしていました。顔面蒼白…などの症状がおきているにもかかわらず、高いほうの血圧(収縮期血圧)が急激に下がる(20mmHg以上さがる)などという症状はありませんでした。この時点で起立性低血圧とは、ちょっと違うな…ということに気づく必要がありました。

 

起立性(体位性)低血圧は,立位をとった際に生じる過度の血圧低下である。コンセンサスに基づく定義は,20mmHgを上回る収縮期血圧の低下,10mmHgを上回る拡張期血圧の低下,またはその両方である(参照

 

しかし下血による血圧の低下ということを考えると、健康であったときの血圧と、②今(下血しているとき)の血圧を比較する必要があったと考えます。

 

下血は、ちょっとやそっとの消化管の出血ではおきない

数10ml以上の出血が、胃や十二指腸、食道からおきているのが可能性として考えられるそうです。以下にその症状をまとめてみます(参照:幸田 圭史 先生「下血?血便?そのときどうする?」前編(市民公開講座) - YouTube)。

 

500ml(循環血液量の10%)

無症状

 

1200ml(循環血液量の25%)

頻脈、顔面蒼白、乏尿、血圧低下

 

2000ml(循環血液量の40%)

意識障害、血圧高度低下、ショック状態

 

ここまでのまとめ

なんだか最近、血圧が低いな…脈が速いな…顔色が悪いな…ちょっと様子がおかしいなと思っている矢先に、黒色便がでたというようなときに下血を疑う必要があったと思いました。

 

どういう原因で出血がおきていたのか?を調べるとともに、収縮期血圧がそのかたの平常値と比較して、20mmHg以上おちていないか?運動をしていないのに異常に脈が速くなっていないか?おしっこの量が少なくなっていないか?などを、ふだんから気に掛ける必要があると考えます。

鷹取山登山で注意したほうがよい場所 福岡県直方市永満寺

2019年4月7日(日)に鷹取山(福岡県直方市永満寺)に登りました。片道1時間10分ほどかかりました。鷹取山は633mの低山なのですが、途中で危険な箇所があったので、それをメモしつつ、登山の行程を記録してみたいと思います。

 

↓こちらが全行程のGPSログです。

鳥野神社の北西にある内ヶ磯ダムほとりに、広い駐車場があります。ここに車を停め、鳥野神社境内へと歩をすすめ、境内から登山道へと入ります。登り始めの場所の等高線の状態を確認してみますと、比較的等高線の幅が広い状態から、だんだんと狭くなっていることがわかります。等高線が狭くなっている場所を登りつめると、尾根へとぬけます。

尾根へと抜けるまでの「登りはじめ」の場所で2か所、危険な箇所がありました。その2か所というのが、上の地図の①と②の箇所です。

 

「①登山道のすぐ横が沢」という場所をみてみます。登山道を登る方向に体を向けているとします。等高線が山の高い方へグニャっとまがっているということは、斜面が右側の沢へと切れ落ちていることがわかります。

 

↓その箇所の実際の写真がこちらです。下山するときに撮った写真なので、左側が沢となっています。なかなか写真では伝わりにくいですが、沢側への切れ落ちは強く、さらに、地面の状態は小石とさらさらの砂がまじった状態です。

登山道の幅はせまく、さらに登山道自体も沢方向へと傾斜しているのですべりやすいです。登山道から沢まで4-5mほど切れ落ちているので、油断をするとズリズリっと滑り落ちてしまいます。樹々が生えているので、さすがに沢まで滑落することはないと思いますが、なかなかスリリングな道でした。場所によっては2-3m下まで木や竹が生えていない場所もあるので注意を要します。

 

この場所と同じように、登山道の片側が切れ落ちている箇所があります。「②急斜面を横切る」と表示している箇所です↑ 等高線に沿って歩く形となります。その箇所の写真がこちらです↓

こちらの箇所も、地面に大きな岩などがなく、足がかりが少ないのです。そのために、少しズリっと滑ると、そのまま谷側へ滑落していきそうでした。転ばないよう、斜面側に手をつきながら慎重に歩を進めました。

 

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以上、2か所の要注意点をすぎ、急登を登りきると尾根にでます。尾根にでたら比較的平坦で気持ちのいい道が続きます。

仕事などでストレスがたまり、鬱々とした気分のときでも、登山をするとすっきりとした気分となります。一人行動をすると妻からチクチクと言われるので、休日の日は、家族が起きる前までに家に帰らなければなりません。8時-9時までの制限時間がある登山というのは、ちょっとハードではありますが、今のところ、わたしにとっての一番のストレス解消法です。

どうしてこんな場所に城を建てた?鷹取山山頂にある鷹取城跡

福岡県直方市の永満寺という地区にある標高633mの鷹取山。この鷹取山の山頂に城跡がのこっています。その山の名前の通り、「鷹取城」です。2019年4月7日の日曜日に、実際にこの場所へいってみました。山頂は樹々がなく、原っぱとなっており、そこに水仙の花畑がひろがっていました。

 

参照:https://www.ku-hibino.com/entry/2019/04/07/110004

 

633mという高いところに、どうしてお城を建てたのか?歴史にくわしくないわたしが、わたしなりに調べてみました。もともとお城を建てたのが、長谷川吉武という武士だったそうです。吉武は「よしたけ」と読むのでしょうか。鷹取城の歴史について詳しく書かれたサイトが「福智町のHP」でした。

 

参照:

http://www.town.fukuchi.lg.jp/soshiki/gakushu/syakaikyoiku/bunkazai/bunkazai4/253.html

 

このサイトを参照して、「どうしてここに鷹取城を建てたのか?」まとめてみます。今(2019年)から973年も昔に、鷹取城は長谷川吉武によって建てられました。1046年といえば平安時代となります。平安時代、福岡県地域は「豊前(ぶぜん)」「筑前(ちくぜん)」「筑後(ちくご)」のみっつの地域に分けられていたそうです。

 

鷹取城のある地域は、「豊前(ぶぜん)」と「筑前(ちくぜん)」とのちょうど境目でした。境目ということで、その境界線争いがたびたびおこっていたようです。鷹取城は「豊前」側に建てられいるので、つまり、”敵”となる筑前側の人々が侵入してこないよう見張る砦(とりで)として、鷹取城が建てられたのでしょう。

 

そんな鷹取城の特徴がウィキペディア(参照)に紹介されています。特徴を箇条書きにしてみると…

 

・南北約100メートル、東西約80メートルほど

・お城としては小規模なもの

城郭は上下2段の曲輪(くるわ)で構成された

虎口(こぐち)は四ヶ所に設けられた

・全周を石垣と櫓(やぐら)で囲っていた

・規模の小ささの割には異例というほどの防御設備で固められた

 

城郭が2段の曲輪(くるわ)で構成…と書かれていますが、曲輪とはなんなんでしょう?どうも、お城を囲むようにつくられた石垣とか堀のことを指すようです。曲輪の跡と思われる写真がこちらです↓

鷹取山山頂はこんもりとした丘となっています。この丘…途中から↑上の写真のように、盛り土がされたように、もう一段グイっと盛り上がっています。樹がほとんどない丘なので、なんとなく2段重ねの鏡もちを想像させられるような形となっています。

 

このグイっと盛り上がった丘の周囲には石垣跡と思われる大きな石がゴロゴロところがっています。おそらくこの石垣のようなものが曲輪(くるわ)とよばれる構造なのでしょう。

 

そして曲輪の数か所に↓下の写真のようなお城への入口と思われる構造がみられます。これが虎口(こぐち)という構造なのでしょう。

上下2段の曲輪のうち、この写真は上の曲輪の虎口です↑

 

いっぽう、↓こちらの写真は下の曲輪にある虎口です。入口付近から写真を撮っており、石垣がとちゅうから右方向へと、直角に曲がっているのがわかります。右へ直角に曲がった先で曲輪(上)に突きあたります。さらに曲輪(上)をあがったその先に城があった山頂部があります。

曲輪を含めた城跡の外周をぐるっと歩いても5-6分ほどの、小さなスペースの山頂ですそんな小さなスペースに、こんな構造を築いているので、「規模の小ささの割には異例というほどの防御設備」と評されるのでしょう。

 

↓こちらは城が築かれていた山頂部です。訪れた日は靄(もや)がかかっており、展望はききませんでした。

しかし見通しのいいときは、直方市や鞍手方向を一望できる、まさに見張り場としてうってつけの場所であることがわかります。

きもちのいい尾根道 福岡県直方市永満寺 鷹取山

場所:福岡県直方市永満寺

座標値:33.7465619,130.7859541

 

直方市(のおがたし)にある標高620mの鷹取山への登山を2019年4月7日におこないました。今回の登山で選んだ登山口は、鳥野神社境内登山口です。登山口から鷹取山までの行程は、「はじめ急登、あとはなだらかな尾根道」というものでした。↓下の写真は「はじめ急登」の急登部分をのぼりきって、尾根道にはいり始めの場所です。

三脚を立てて、以下の設定で写真を撮りました。

F値:14
シャッター速度:1.3 秒
ISO感度:100

朝陽が森のなかに入りはじめ、若干明るくなり始めてはいましたが、まだ薄暗い森を、そのままの形で写真におさめたいと思い、以上の設定としてみました。実際に見た景色も、この写真のように薄暗く、なんだかちょっと神秘的な雰囲気が漂っていました。

鷹取山(たかとりやま)山頂はスイセンの花畑がひろがっていた

2019年4月7日(日)に、福岡県直方市にある鷹取山(633m)に登りました。いまの時期、福岡県の日の出時刻は、5時58分となっていますが、鷹取山山頂では太陽が福智山山頂あたりから顔をだすので、ちょうど7時ごろの日の出となっています。

 

場所:福岡県直方市永満寺

座標値:33.7393281,130.7883745

鷹取山山頂は、むかし山城が築かれていました。現在もどなたかの整備により雑草が刈られ、とても見晴らしのよい場所となっています。さらに驚いたことに、山頂標識の周囲には、写真のようにたくさんの水仙が植えられていました。

 

山頂にたどりついたとき、ちょうど福智山から朝日が顔をだしました。朝露に濡れた水仙が朝日を受け輝いていました。あいにく周囲は靄(もや)がかかっており、見晴らしはあまりよくなかったのですが、この景色をみられただけでも、とてもありがたかったです。鳥野神社登山口から鷹取山山頂までの登山時間は約1時間10分でした。

奇妙な樹のこぶはどうしてできる? 福岡県直方市頓野 鳥野神社境内

場所:福岡県直方市頓野

座標値:33.753395,130.776976

福岡県直方市の頓野(とんの)にある鳥野神社境内には美しくめずらしい風景があります。そのうちのひとつがこちらの写真です↑ 神社境内から鷹取山へとのぼる登山口があるのですが、登山口ふきんに奇妙なこぶができた樹が生えています。

 

幹のうねりが、なんだか象などの大型動物の皮膚のようです。まるで杜にいる奇妙な生物のようです。

 

それにしても、どうしてこんな異様な形のこぶが樹にできるのでしょうか。ちょっと調べてみると、これは細菌の感染によるものなんだそうです。その細菌の名前は、「アグロバクテリウム」というなんとも難しい名前です。

 

参照:https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=2540

 

この細菌の遺伝子が、感染した樹の細胞の染色体に入り込み、細菌の遺伝子が発現するようになり、樹の細胞が増殖した結果なのだそうです。これだけの情報を見ると、なんだか細菌の感染により癌細胞が発現したような印象を受けます。

 

しかし、そうではないようで、オーキシンやサイトカイニンといった、植物細胞の成長を促進するホルモンがあるのですが、あくまでも、それらのホルモンを分泌する細胞を活性化する…のだそうです。成長が促進されるので、遺伝子が発現したその部分だけが、ぼこっと盛りあがり、写真のような奇妙な形のこぶができるのですね。

 

日常生活に特に役立つ情報ではありませんが、ふだんみている風景のちょっとした疑問を調べてみるのも、なかなか楽しいものです。

精霊をしずめるために祀られる千手観世音菩薩 福岡県直方市頓野

福岡県にある山で、標高でランキングを調べてみると…

1位 釈迦岳(八女市)1230m

2位 御前岳(八女市)1209m

3位 英彦山(田川郡)1199m

…と上位三山があります。標高のメートル数としては、ほとんど近位差で、数十メートル刻みでランキングされています(参照)。

 

北九州市、直方市、田川郡にまたがる福智山(ふくちさん)は、北九州域ではいちばん高い山で、900.6mの標高です。北九州で一番高い山とはいっても、福岡県内のランキングでは10位ランキング外となっています。

 

福智山は、北九州域でみると最南端に位置します。福智山の西側には遠賀川が流れていて、その流域は平野が川沿いに縦長にのびています。だから、福智山からはるか遠くはなれた北九州の北部からでも、遠賀川沿いであれば、福智山を眺めることができます。

福智山の西側にある直方市から福智山を眺める↑ 福智山頂は写真の右奥の一番たかいポイントです。

 

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そんな福智山山頂から、直線距離にして西側1.4㎞ほどの場所に鷹取山(たかとりやま;633m)があります。この鷹取山山頂には、むかし、お城が築かれていたといいます。鷹取城(たかとりじょう)と呼ばれたそのお城は、平安時代に築かれたといわれます(参照)。平安時代は794年から1185年とされているので、時代幅が広く、具体的に何年に築城かはわかりません。

はじめの築城(西暦1000年前後)以降、1333年に再築城。1542年に大軍に攻められ落城したとされます。その後は、城主が点々と変わり、江戸時代の1615年にだされた一国一城令により廃城となったそうです。

 

今回、この鷹取山をご紹介したのは、鷹取山ふもとの内ヶ磯ダムほとりにある千手観音堂をご紹介したかったからです。

↓こちらがその千手観音堂です。千手観世音菩薩が本尊として、地蔵菩薩とともに祀られています。

場所:福岡県直方市頓野

座標値:33.75441,130.7757169

 

これら菩薩様を祀っているのは、鷹取城の攻防戦で亡くなった武将たちの精霊をしずめるためと、内ヶ磯ダムをつくるときそこにあった家々の精霊を弔うためとされています(参照:案内板)。残念ながら、お堂のなかに祀られている菩薩様を拝観することはできまんでした。

↓なんの樹なのでしょう?御堂のすぐそばには、独特の形をした樹が、お堂を守るように生えており、お堂の横には二基の祠が祀られていました。